人生百年 有為自然

人生百年。地域づくり、日々の生活、思いなどを中心にしたブログです。

有為自然 139    みんなで ハッピーバースデーツーユー ~ ♫

   みんなで ハッピーバースデーツーユー ~ ♫

 

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8月の草刈り・樹木剪定ボランティア

お盆の時期だというのに、13人も参加。
せいぜい5~6人の参加だと思っていました。

広場の草刈りと、集会所周辺の剪定です。
混合油エンジンの草刈り機と、電動の草刈り機が、威力を発揮しました。
1時間の作業で、広場も集会所もすっきり。

懇親会の冒頭、酔わないうちに作業の反省をします、

・ 作業中、「一斉休憩」を入れたほうがいい。 ついつい頑張ってしまうから。
・ 熱中症対策の飲物を用意する。 買出しが増えるけど。
・ 汗をかくので、着替えを用意した方がよい。
・ 買出しの時に、「氷」も準備する。
・ 鎌などの刃を研いだ方がよい。
・ 市の補助金を使って、高枝切りのノコギリなど用具をそろえること。

そして、懇親会。
当日、誕生日の人がいたので、みんなで「ハッピーバースデーツーユー」。
年齢不詳、女性。
私より上は、たしか。
翌日から70代、という人もいました。
80代の参加者は、二人。

百名山のうち「70制覇」、5年以内に残りをすべて登ると話す人。
今回はお休みでしたが、すでに「92名山」を登られた夫婦もいます。

作業終了後に、「陣中見舞い」の人も。
高級な清酒・焼酎が、手土産。
「オレは、人のためにつくす、ということをしたことがない。
ボランティアは自分の性に合わない」と。
しかし、「草刈り機の操作」に興味津々だったので、
次回は、草刈り作業に誘うつもりです。

作業への参加・不参加を問わず、
毎月1回、顔を合わすことが大事だと思っています。

地域の「夏祭り」の手伝いは、「無理せず、自主参加」ということに。
手伝える人は、手伝う。

次回、本格的な「カレー」を食べる話も出ました。
最近加わった仲間の一人に、本物の「料理人」がいたのです。

ますます、楽しくなります。
「シルバーパワーは衰えず」です !!

有為自然 138   ツナギを着て 「汲み取り式トイレ」に行ったら …

 ツナギを着て 「汲み取り式トイレ」に行ったら …

 

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皆さん、台風は大丈夫でしたか。

首都圏も、昨日のはすごかったです。

 

さて、お盆正月には、いつも父母の実家(両祖父母の家)に帰っていました。

子どもにとっては、「楽しい思い出」です。

しかし、本家の嫁にとっては、大変なことだったと思います。

「義理の兄弟姉妹」「甥っ子」「姪っ子」が押し寄せてくるのですから。

 

お正月に母の実家に行ったときのことです。

叔父のツナギを借りて着ました。

そのまま近所のお店に買物に行くことになります。

腸の弱い私は、直前にトイレに行きたくなりました。

当時は、「汲み取り式トイレ」(ぽっとんトイレ)です。

ツナギのポケットに財布を入れたままでした。

上半身を脱ぎ、しゃがみます。

 

用をすませ、買い物に行こうとしたら、財布がないのです。

トイレに落としてしまいました。

汲み取り用のフタを開け、私が長いひしゃくで〇〇便を肥桶に入れます。

それを叔母さん(母の弟嫁)が、肥桶をかついで、裏の田んぼの肥溜めまで運びます。

便槽の底が見え、カラになるまで何度も何度も繰り返しました。

正月三が日のことなので、近所の評判になったそうです。

 

見つかりました。

財布を近くの小川までもっていきます。

必死で洗いますが、茶色のシミはとれません。

祖父が、囲炉裏で乾かしてくれました。

渇くやいなや、それをもって近所のお店に買い物に … 。

 

この話は、私にとって「面白い思い出」「笑える話」でした。

ところが母から、

〇〇さん(母の弟嫁)から、いつもこの話をされる。

姉さんたちは、手伝わなかった、と」。

この話を聞くたびにつらい、というのです。

 

確かあのとき、母も手伝うといったけど、叔母さんがそれを断ったような気がします。

母は、自分の息子がやらかしたことなので、

すぐに着替えて手伝えばよかったんですね。

叔母にとっても、母にとっても、「イヤな思い出」なんです。

それ以来、私にとっても「苦い思い出」「笑えない話」になってしまいました。

 

ところで、皆さん。

「お札」はどういう経過で皆さんの手元に届いているか、想像したことはありますか。

くれぐれもご注意ください。

お札を扱った後は、必ず手を洗うようにしています。

 

なお、この話はキャッシュレスのお薦めではありません。

私は現金カード「併用」派です。

キャッシュレスに対応できない、

中小小売店、高齢の店主たちのことを考えると、そうなってしまいます。

 

有為自然 137    「俺はあん畜生を 一生許さねえぜ … 」

   「俺はあん畜生を 一生許さねえぜ … 」

 

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『ヨーコさんのことば ふっふっふ』佐野洋子・文)のつづきです。

 

小学校六年生の時の男の教師は よく男の子をなぐり倒していた。

廊下でとっ組み合って

教師と男の子がゴロゴロ ころがっていたこともあった。

 

大人になってから 同窓会があった。

三十男と還暦を迎えた教師が 向かい合って酒を飲んでいた。

「廊下で頭をこづかれて、 あんときは痛かったぜ」

教師も男も笑い 私たちも笑った。

なぐり倒しも どれほどのことも なかったのか。

いつかは 笑い話になるのか。

 

しばらくして私の前に 別の男が来て言った。

「俺はあん畜生を一生許さねえぜ。 何かっていえば なぐりやがって」

彼が特別教師に 目のかたきにされていたとは 思っていなかった。

みんな似たりよったりだと 思っていた。

 

彼は成功して 工務店の社長になっていた。

「俺はあん畜生になぐられたから、 うちの若いもんに絶対手を出したことはねえ。

かならず言い分を聞く。 どんな奴にも言い分はあるんだ。

暴力って奴は いいことは何もねえ」

 

同じ行為が受け手によって まったく違う意味を持つのだ。

こだわり続けることで 自分を創る人もいれば、 流すことで 生き続ける人もいる。

 

私たちは教師によって 育てられたのではない。

自分で生きてきたのだ。

それぞれの力で。

それぞれの魂も持って。

 

読んでいて、高校時代の数学の教師を思い出しました。

彼がぶつけてきた「言葉」を、私は「流」さず「こだわり続け」たのです。

「許さねえ。 見返してやる!!」と。

 

人それぞれですね。

数学の教師は「きっかけ」をつくってくれました。

「生きてきた」のは、たしかに「自分」です。

 

* 庭のブルーベリーの実が、全滅

  完熟なので摘み取らなければと、手の甲に「ブルーベリー」と書いて寝ました。

  朝、行って見ると、あとかたもない。

  すべて鳥に食べられたのです。

  来年は、もっときちんとした「防鳥網」をかけます。

有為自然 136    タカサゴユリは 父を思い出させる花です

  タカサゴユリは 父を思い出させる花です

 

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今日は、8月15日

庭のすみに、今年もタカサゴユリが咲きました。

父の初盆のときに咲いていたので、この花を見ると父を思い出します。

 

父の弟は、徴兵年齢以前に軍隊に「志願」し、沖縄で戦死しました。

まだ十代でした。

志願に際して、兄である父に相談したそうです。

父は、了承しました。

戦後、父はずっとそのことを苦にしていたようです。

「平和の礎」の出身県の石碑に、叔父の名が刻まれています。

 

父は「繰り上げ卒業」で軍隊に入り、やがて「通信兵」の任につきました。

部隊は、訓練でよく市街地を行軍したそうです。

若い兵隊たちは、行軍の時によく見る美しい娘さんのことを話題にしていました。

 

空襲にやられた市街地を、父たちの部隊は片づけにはいります。

焼けた防空壕を掘っていると、その娘さんの遺体が出て来たそうです。

顔も身体もまっ黒に焦げて。

 

その夜、その防空壕近くを通らなければならない「伝令」の命令が出されました。

伝令の任務を誰も引き受けません。

父が手をあげました。

明かりのない真っ暗な中を急ぎます。

昼間、片づけた防空壕近くで、父は鉄条網に足を引っかけてしまいました。

はずそうとしても、なかなかはずれなかったそうです。

やっとのことで任務を終え、部隊に戻りました。

真っ青な顔をした父を見て、誰も笑う者がいなかったそうです。

 

父は内地にいたために、人を殺したことはありません。

しかし、わずか8カ月間ですが、軍隊の経験をしました。

米軍機からの「機銃掃射」を受けるなど、さまざまな戦争体験をしています。

 

このクニの人も、このクニの支配からの解放を喜んだ国々の人たちも、

それぞれ戦争の深い傷を、記憶にも身体にも刻みました。

そのことを「知らない人たち」「知ろうとしない人」たちが、

このクニを動かしているのは怖いことです。

 

それにしても、父や母からもっと

いろんな話を聞いておけばよかったと、今になって思います。

 

* タカサゴユリ外来種であり、在来種と交雑するそうです。

  父の初盆を思い出させる花なので、抜き取ることが出来ません。

  種子が散るのを防ぐために、咲き終わるとすぐに摘むようにしています。

有為自然 135    大好きな先生から 「たいしたことないわねぇ」と …

 

 大好きな先生から「たいしたことないわねぇ」と …

 

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『ヨーコさんのことば ふっふっふ』のつづきです。

小学校三年生の時の教師は 十八歳の女の代用教員だった。
日本中が貧しくて、 しらみがどの子の頭にも 住んでいた。
その中でもひときわ たくさんしらみのいる 女の子が側に来ると
十八の先生は 「キャー汚い」 と逃げたのである。

私たちも当然、大っぴらに 「キャー汚い」と逃げ回ったが、
首をたれてじっと私たちを見た あの女の子の目を
私は決して忘れることが できなかった。

この話を読んで思い出したことがあります。

暗い小学校時代、唯一、明るい時期がありました。
小学校4年生の時です。
クラス担任は、まだ二十歳を過ぎたばかりの若い女の先生でした。
笑くぼのある、可愛い先生です。

毎朝、歌をうたうことから学校生活が始まりました。
先生に気軽に話しかけたり、からかったりもしました。
あまりにうるさいので、先生から「タケヤブノスズメ」というあだ名をもらいます。
あの無口で暗い子どもが、明るくなったのです。
当然のことながら、先生に恋心も抱いていました。

 ところが、体育の授業で、かけっこの練習をしているときのことです。
ビリを走っていた私に、先生は、
「〇〇くん、たいしたことないわねぇ」と笑いながら声をかけました。
クラスで勉強はできる方だったので、先生にとってはビリが意外だったのでしょう。
しかしこの一言は、ショックでした。
大好きな先生が、私が一番気にしていることに触れたからです。

昼食時間になっても教室へ戻りませんでした。
運動場の片隅の草むらの中で、泣いていました。

空が青かった。
今思い出しても、涙が出そうになります。
その日を境に、以前の明るい自分には戻れませんでした。
あれが最初の「失恋」だったのでしょう。
小学校時代の悲しい思い出です。

 でも先生とは、年賀状のやり取りが続きました。
結婚されて、首都圏に来られます。
子どもが赤ちゃんの時に、ご自宅に遊びにも行きました。
20年ほど前、長女の方から電話があり、通夜に行きます。
こんな近くに引っ越されていたのなら、お元気なうちに会っておけばよかった。
生きておられたら今、80代に入られたばかりでしょう。

有為自然 134    ヨーコさんの言葉 大好きです !!

   ヨーコさんの言葉 大好きです !!

 

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NHKの「ヨーコさんの言葉」を見てから、はまりました。
自分は「オバさん度」いや「ヨーコさん度」が高いと思っています。

 

『ヨーコさんの“言葉” ふっふっふ』佐野洋子 文 北村裕花 絵 2018年)

 

「男のプライド」なんてものはありません。
なんでも「聞きまくって」います。

 

「ゴミ出し」「お茶わん洗い」やるのは日課です。
買物・洗濯・野菜洗いも … 。
調理は得意ではないので、アイカタにやってもらっています。

 

「誰かが生活支えなくちゃ、世の中つぶれるの」
「茶わん洗わないと 永久に同じところで ほこりかぶって 動かないの。」
「落っこっているゴミは 誰かが捨てなければ 
百万年も 同じところにあるってこと … 」

 

両親が共稼ぎだったので、子どもの頃から風呂焚き・洗濯は当たり前でした。
シングル生活が長かったので、
炊事・洗濯・風呂掃除など、自分でやるのが当然。
世の中の男どもは、なぜできないのか。

 

「妻に看取ってもらいたい」という男が多いとか。
何を言っているんだ、女々しいぞ。
アッ、「女々しい」は、サベツか。
ビョウジャクなアイカタを残して、先に逝くわけにはいきません。
イカタはフゲンビョウかもしれません。
石にかじりついても、
元気な状態で、アイカタよりも長生きしなければならないと思っています。

 

「ヨーコさんの言葉」に戻ります。

 

ヨン様には、はまったなァ(笑)

 

「引力は下から来るから 皮膚は下方に向かって 落ちてきて、
七十年も毎日使えば 骨だって痛む。
しかし、しわだらけの袋の中には 生まれてきて生きた年齢が 全部入っているのである。
西洋は若さの力を尊び 東洋は年齢の経験を尊敬し、
年寄りをうやまい 大切にする文化があった。
そして静かに年寄り、年寄りの立派さの見本が いつもいた。
私はそういう年寄りになりたい。」

 

これから時々、「ヨーコさん」とのからみも書いていきます。

有為自然 133   眠っていると かすかに足音がして …

 

  眠っていると かすかに足音がして …

 

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高校時代の話のつづきです。

 

毎日8時間の授業に、帰宅してから5時間の予習・復習

少しでも手を抜いたら、「落ちこぼれ」ます。

「親の仕送り」に応えなければなりません。

ということで、学校に批判的ながらも、勉強だけは必死に続けました。

 

そんなある夜、寝ていると、かすかに足音がして、

部屋の入口の襖から何かが入ってきました。

そして上からものすごい重さで抑えつけてきたのです。

 

幽霊だと思い、怖くなって、近くに住む叔母の家に行きました。

「幽霊が出た」というと、

叔母は「そう」と言って、布団を敷き寝かせてくれました。

幽霊だと心底から思ったのは、

「父の幽霊体験」(泊まった家の婆さんが、◇吊りした部屋で寝たときの話)の影響です。

 

「金縛り」の始まりでした。

毎晩、くりかえし襲ってきます。

 

原因は何かと考えました。

過度な勉強による「疲れ」だと自己診断します。

起きようとすると、かえって強い力で抑えつけて来る。

こちらが力を抜くと、消えていく。

一種の「催眠状態」だと考えたのです。

 

そこで、金縛りに合うと、

「これは、いつものやつだ」と自分に言い聞かせ、力を抜きます。

起きて「ビタミン剤」を飲み、

「これで、もう安心」「自己暗示」をかけます。

そうやって、金縛りを解きました。

 

そのうちに、金縛りと「遊ぶ」ようになります。

一気に押しのけようとしたり、力を抜いたり。

ある夜、抑えつけているのは「大蛇」だと想像しました。

これは、マズかった !!

ものすごい力で、締めつけてくるのです。

あわてて力を抜き、これは「自己催眠だ」と自分に言い聞かせました。

危機からの脱出、成功 !!

 

ジジイになったせいか、もう金縛りにあいません。

皆さんは、「金縛り」にあったことがありますか ?