人生百年 有為自然

人生百年。地域づくり、日々の生活、思いなどを中心にしたブログです。

有為自然 356   わたしの町の 「花咲かニャンコ」 ♫

  わたしの町の 「花咲かニャンコ」 

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新型コロナウィルスの影響は、どこに出るかわかりません。

コミュニティセンターの「広報」担当者を知っている、

老人会の会員さんから電話が来ました。

「広報」の原稿を書いてくれとのことです。

 

コミュニティセンターの閉鎖で、

会館の関連行事の記事がなくなったというのです。

そこで、私たち花壇ボランティアのことについて、何か書いてくれないかと。

 

困った時は、お互い様。

二つ返事で引き受けました。

ボランティア活動を知ってもらうチャンスです。

 

題は、「わたしの町の『花咲かニャンコ』」にしました。

分量は、200字程度。

 

わが町内の公の場所には、

6か所の花壇があり、4つのボランティアグループが存在している。

そこにガッコーのセートさんたちも参加。

私たちのグループが3か所と一番多い。

しかし、最後にスタートしたグループだ、と。

 

しめくくりは、もちろん次の歌詞です。

 

ニャンコ ニャンコ 花咲かニャンコ ♫

町中 花を ピポパポパ ♫

赤 白 黄色に 青 ピンク ♫

 

「ニャンコ ニャンコ 花咲かニャンコ」ではなく、

「ジジイ ジジイ 花咲かジジイ」の方を連想された方が、

いらっしゃったのではないですか。

 

それは、あなた ? (笑)

 

 

 

有為自然 355   そんなに オレの話は ?   話(37)

 そんなに オレの話は ?   話(37)

 

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Kセンセーは、何度かの失敗のあと、一切ボーリョクをふるわなくなりました。

ダンシセートを床にねじふせたのが、最後でした。

 

Kセンセーは、語ります。

 

タイバツは指導ではなく、ボーリョクである。

キョーシ本人に、心の余裕がないとき、

言葉で指導する力がないときに起きる。

怒りや憎しみの爆発にすぎない。

自分をコントロールできないのだ。

 

数は少ないが、ボーリョクを反省した。

そして、セートを言葉によって指導するようになった。

注意を無視してしゃべり続け、従わないセートには「外に出なさい」と言う。

他のセートたちが見ていないところに連れて行って、静かに語りかける。

 

「どうして私語をしつづけるんだ ?

そんなに俺のジュギョーは、つまらないか ?

言いたいことがあったら、言いなさい」

 

だいたい、ここで謝るセートは、それで終わり。

そうでない場合は、

「放課後、私のところへ来なさい。

あとでゆっくり話そう」と切り上げる。

 

いずれにしても、セートの言い分をとことん聞く。

セートの不満を聞き、ジュギョー改善に努力することを約束する。

多くの場合は、セートたちと打ち解けることができた。

 

中には手強いセートもいた。

私語やジュギョー妨害はなくなったものの、

分かり合えないまま終わる場合もあった。

自分の力量不足だ。

 

 

 

 

有為自然 354   彼を救ったのは 何だったのか ?   話(36)

  彼を救ったのは 何だったのか ?   話(36)

 

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Kセンセーは、

間違ってひっぱたいてしまったA子と、その父親について語りつづけます。

 

まっ赤に染めた髪、異常に長いスカートのA子。

「もう少し頑張れば卒業できる」という時期になっていた。

ところが、ガッコーを休み始めたのである。

 

何とかして卒業させたい。

ガッコー帰りに、自転車で家庭訪問をした。

ところがA子はいない。

両親だけである。

「お上がり下さい」と言われ、父親と話しをした。

 

すると父親は、自分の中学時代に住んでいた地域の、

すぐ隣の出身者であることがわかった。

郷土の酒が出た。

お互い方言で話し、盛り上がった。

結局、父親と意気投合してしまったのである。

 

酒を飲んでいる間、実はA子は2階にいた。

カノジョがそっと降りてきて覗くと、

「まだKセンセーがいる。

なぜ父と、あんなに話し込んでいるんだ」と思ったそうだ。

 

父親が、かつて有名な人物の秘書だったこともわかった。

いろいろ話が合う。

A子を何としても卒業させたいという気持ちを、両親と共有できた。

 

ジュギョー中、勘違いでひっぱたかれたにもかかわらず、

A子は父親から「Kセンセーはいいセンセーだ」と言われ続けた。

幸いにも、A子は父親のことを尊敬していた。

結局、父親の存在が娘を卒業させる力になった。

ほんとうに父親に感謝である。

 

家庭訪問をしてセートの親と酒を飲んだのは、

最初で最後のことであった。

 

数年前、遠方に住んでいた父親と「今度こそ、また飲みましょう」と電話で話した。

お元気な声だった。

しかし、その後しばらくして亡くなられた。

 

彼の人生や、今のこのクニのことなど、

もっと多くのことを飲みながら話したかった。

キョーシ人生のなかで、こんなに親しくなった父親はいない。

飲んだのは、40年ぐらい前のことである。

 

A子さんからは、毎年冬、名産の果物がとどく。

こちらもお返しを送る。

そのたびに電話で話をしている。

 

「センセー、うちらの地域では80代はワカゾーだよ。

センセーは、まだまだ若い」といつも言われる。

 

Kセンセーは、A子さんの父親に救われました。

彼はその後、何度か失敗したのち、ボーリョクを一切ふるわなくなります。

では、どういう指導に変わったのでしょう ?

有為自然 353   ひっぱたいた しかし 実は …   話(35)

  ひっぱたいた しかし 実は …   話(35)

 

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Kセンセーは、語ります。

 

「Kセンセー、A子の髪の毛を何とかしてよ」と、先輩キョーシから言われた。

 

A子の髪は、まっ赤に染められていたのである。

運動会の行進の時、太陽のひかりにあたって燃えるような赤になった。

今でも覚えている。

 

制服のスカート丈も、異常に長い。

呼び出して、何度も何度も話をした。

しかし、それでも改まらない。

 

「かねて、ショクインカイギなどで生意気なことを言っているくせに、

赤い毛もスカートも、指導できないではないか」

 

先輩同僚からの視線はきびしい。

 

カリカリしていた。

ある日のジュギョーのことである。

A子が私語をしていた。

「話をやめろ」と何度か注意した。

しかし、いっこうにやめない。

かねて髪の毛を注意しても、改めないことにいら立っていた。

つかつかと歩いていき、出席簿で頭をおもいっきりはたいた。

 

あれは、指導なんかじゃない。

怒りの爆発である。

 

同窓会の時、A子に言われた。

「センセー、あの時、話していたのは私じゃなかったんだよ。

後の二人だったんだよ。

センセーは、私のことを憎かったでしょう」と。

 

エーッ、ウソだろう !1

 

しかし、同窓会での別れ際、A子にハグされた。

ちょっと大柄なセートであった。

酔った勢いだったといえ、

セートにハグされた体験なんてないので、びっくりした。

 

「父からいつも、言われていました。

お前が卒業できたのは、

今があるのは、Kセンセーのおかげだぞ。

感謝しなければいけないぞ」と。

 

Kセンセー自身は、

A子が卒業できたのは、父親の存在があったからだと思っています。

 

さて、KセンセーA子の父親との間には、何があったのでしょうか。

皆さん、どう思われますか。

これは、むずかしいと思います。

 

有為自然 352   モンダイシューを解いてる セートを …   話(34)

   モンダイシューを解いてる セートを …   話(34)

 

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Kセンセーは、語ります。

キョーシ生活の中で一番後悔していることは、何か。

 

何よりもシャカイカの基礎学力がなかったこと。

セートたちに満足のいくジュギョーができなかった。

必死に勉強したが、ダメだった。

 

次にセートに謝りたいのは、ボーリョクをふるったことである。

初めて担任した学年を卒業させた、1月のことである。

ニホンシの最後のジュギョーが近づいていた。

ちょうどゲンダイシを教えていたので、熱が入っていた。

 

ところが、前の方の列にいたセートが、

ジュギョーを無視して問題集を解きつづけていた。

その傍若無人ぶりに、ムカムカした。

そして思わず、ノートか何かでたたいてしまった。

 

あとで、彼女は大学ニューシのための問題集を解いていたこと、

ニューシ直前だったことがわかった。

大学を実力で受験するセートがほとんどいないジョシコーでのことである。

 

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なぜ、穏やかに注意できなかったのだろう。

キョーシとして、心に余裕がなかったのである。

 

今だったら、

「問題集、解いていいぞ。

ただし、今ジュギョーでやっているところは大事なところだから、

ジュケンが終わったら聞きにこいよ」

といったような対応をしていたかもしれない。

 

彼女は、きっと私のことを恨んでいるだろう。

それは仕方がない。

キョーシ生活のなかで一生忘れることができない汚点の一つだ。

カノジョの顔も、しっかり覚えている。

ほんとうに申し訳ないことをした。

 

Kセンセーのボーリョクは少ないのですが、

このほかにも幾度かありました。

 

それは、超ロングロングのスカート、まっ赤に輝く髪の毛、

そんなジョシセートに対して起きたことです。

次回の「Kセンセーのはなし」に続きます。

 

有為自然 351  ゴーストタウンを 徘徊している ?

     ゴーストタウンを 徘徊している ?

 

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気がついたら、昨日で早朝太極拳1200回を越えていました。

朝起きると、自然に太極拳を行うようになったのです。

忘れることもなければ、ほとんど意識することもありません。

 

今は、2月から始めた「毎日ウォーキング」に意識が移っています。

「血圧を下げる」ためです。

 

2キロ、3キロ、4キロ、5キロ、6キロと、新しいコースを開発中。

いつも車で素通りしていた車道から、少し入った小さな道を歩いています。

 

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先日は、気がつくとゴーストタウン化した団地に入り込んでいました。

誰も、住んでいません。

金網や鉄柵で囲ってあります。

こんなになっていたんだ !!

まさに高度成長期の「夢のあと」です。

ふと、将来の「ゴーストタワマン」が、頭の中に浮かびました。

 

三十代の初めに住んでいた、

公団の集合住宅(5階建て)もたずねました。

片道で、2.5キロでした。

こんなに近かったんだ !!

 

いくつもの公園の近くを歩きます。

驚くほど大勢の子どもたちが走り回っていました。

イッセーキューコーの結果でしょう。

かつての高度成長期は、こんなふうに子どもたちは外で遊ぶものだった。

そのように思いました。

子どもを見守る若い親たちの姿も、いっぱい。

 

そのわきを歩く私は、徘徊老人か。

市からの「防犯メール」には、ロシュツキョーや、

子どもの写真を撮ろうとするあやしげなオトコの情報があふれています。

 

花粉症対策のために、マスクをつけて歩いている。

「あやしい目つきのジジイ」と、通報されかねません(笑)

これは、あまり笑える話ではない。

 

楽しいのは、ボランティア仲間と道で会うことです。

マスクをしているので、近づいてみないとわかりません。

私より若いジョセーボランティアさんが、マスクをはずして、

「○○さん、わたし、わたし」

 

一つ間違うと、「ジョセーをジロジロ見るヘンタイジジイ」になってしまいます。

いろんな発見があり、気持ち良くウォーキングを終えることが出来ました。

 

 

 

 

有為自然 350   「最後のジュギョー」が なくなった ?   話(33)

  「最後のジュギョー」が なくなった ?   話(33)

 

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Kセンセーは、3月のこの時期にいつも何をしていたか ?

Kセンセーが、思い出したことを語ります。

 

まず、ソツギョーシキ

そして、コーコーニューシ後のゴーカクハッピョー

ゴーカクシャセツメーカイ。

キマツシケンに採点、そしてセーセキ処理。

 

最後のジュギョー。

テスト後のセートたちには、「終わった感」が充満している。

授業に集中する気持ちは薄れている。

そこで、いつも『木を植えた男』(アニメ)のビデオを見せていた。

黙々とやりつづけることの素晴らしさを伝えたかったのだ。

 

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テスト後のジュギョー時間を確保するために、

他のセンセーたちからも、ジュギョー時間をもらっていた。

喜んで提供してくれるキョーシが多かった。

テストが終わっているので、ジュギョーをしにくいからだ。

しかし、テストや成績に関係なく、

自由なジュギョーをやれたので楽しく貴重な時間だった。

 

この1年間、どんな気持ちでジュギョーをしてきたかも話した。

1年間の締めくくりとして「ジュギョーアンケート」も実施。

そして集計する。

 

シューギョーシキまでに、セートに私物を全て持ち帰らせた。

1週間ぐらい前から、持ち帰るように言い続ける。

シューギョーシキの日には、キョーシツの中はスッカラカンになるはずだった。

セート全員が下校した後、チェックして回る。

置きっぱなしの私物を片づける。

 

イッセーキューコーの現場にいたとしたら、

一番のショックは、「最後のジュギョー」ができないことだろう。

そして、担当クラスの生徒たちに「シューギョーシキの日」にお別れできないこと。

突然の「中断」に見舞われた、セートとセンセー方の気持ちを考えると … 。

 

今ごろ、新しい学年のクラス担任たちともに、

次年度のクラス編成をし、準備を始めていた。

 

「Kセンセーのはなし」の次回のテーマは、

「キョーシのボーリョク」の予定です。

 

    341~350 記事一覧

 

341 春休みに、キョーシツの落書きを消す「ペンキ塗り」をしていた。   話(30)

342 セートと「ペンキ塗り」の同好会をつくった。   話(31)

343 同好会の名は「夢を塗る塗装屋」、つまり「塗夢装屋倶楽部」   話(32)

344 トクベツシドーを受けたセートも引き入れる。鬼平と同じか。   話(33)

345 「ニャンコ ニャンコ … ♫」の歌が「ジジイ ジジイ … ♫ 」に聞える。

346 廃校や つわものどもが 夢のあと   話(34)

347 KuTooって、どう思いますか ?

348 ムカンキャクジアイは 意味がないのか ?

349 ナゴヤコーサイに、やっと良心の灯がともる。セーボーリョク、ユーザイ判決。

350 3月の今ごろ、ソツギョーシキ、最後のジュギョー …   話(36)