歎異抄 フルート 広島 … どんな教師だった ?
高校時代の同級生。
水害のあと、告別式に行きました。
納骨がすんだあと、偲ぶ会にも参加します。
仕事の同僚たち、フルートの演奏仲間、『歎異抄(たんにしょう)』を読む会、 … 。
彼の交流、活動分野の広さに驚きました。
彼は、高校の国語教師でした。
広島への修学旅行。
関連する岩波新書をすべて読み、
原爆資料館の館長に手紙を出し、連絡をとって準備したそうです。
徹底的に調べるタイプだった、と。
授業で教室を暗くし、蝋燭の灯のもとで朗読した話も紹介されました。
就職後は、ほとんど会う機会がありませんでした。
高校・大学時代の、破天荒な彼の記憶しかありません。
告別式に、数百人の参列者。
高校生、卒業生と思われる若い人たちの長い列。
その多さに圧倒されました。
彼が生徒たちに、いかに慕われていたか。
学校や教師たちに対して批判的だった彼が、
どんな教師だったのかを知りたかった。
時に触れて、彼を思い出します。
彼は、私の心の中でずっと生き続けています。
何と言っても、私の人生に大きな影響を与えた一人ですから。
* ゼフィランサスがどんどん成長しています。
道路わきの花壇には、ピンクのゼフィランサスが咲いていました。