中3の夏休み課題は 「毎日、泳ぎに行くこと!!」
あるとさんの、今週のお題「海」に刺激されました。
中学2年。
成績上位、暗い、周りにとけ込まない … などが原因なのか、
クラスの一部の女子に蛇蝎のごとく嫌われました。
彼女たちは、これ見よがしに私の悪口を言います。
「父が転勤してくれたら … 」と、ずっと願っていました。
幸運なことに中学3年で、初めての転校となります。
1500人を越える大規模校から、全校生徒58名、3年生は20名の小さな中学校へ。
地元の生徒たちは、気持ち良く受け入れてくれました。
保育園・小中学時代の10年間のなかで、最も幸せな1年間を過ごすことになります。
先生が突然、午後の授業をやめて、
みんなで海に行き、貝をとって煮て食べたこともあります。
今だと、管理職や教育委員会がうるさくて、とてもできないだろうと思います。
翌年3月に高校受験をひかえていましたが、クラス担任は私に
「毎日、海に泳ぎに行くこと!!」という「夏休みの課題」を与えました。
私だけが泳げなかったからです。
住まいから海までは、直線距離で100メートルもありません。
自宅で海パンに着替えて走っていくと、そこは海です。
先生に言われたとおり毎日、海に行きました。
海岸線から直角に突き出た防波堤の突端から、波打ち際に向かって泳ぎます。
防波堤からの角度を少しずつ広げ、斜辺を長くしながら、
泳ぐ距離を延ばしていきました。
そして突端から、50メートル先の岩場まで泳げるようになります。
夏休みが終わる頃には、岩場までの3往復300メートルも、
「泳げる」ようになったのです。
クラス担任の〇〇先生には、本当に感謝しています。
母の見舞いで帰郷した折のことです。
母の施設から数十キロ離れた、中学時代に住んでいた地を一人で訪ねました。
住まいはあとかたもなく消え、草茫々でした。
海岸には、新しい防波堤がつくられています。
卒業した中学校は小学校と併設でしたが、ともに廃校。
かつての運動場には、夏草が生い茂っていました。
中学3年のときの「幸せの地」は、もはや「夢のあと」に変わり果てています。
しかし、あの1年間は最高に幸せな刻(とき)でした。
庭にこしらえた竈(かまど)で、流木を燃やしてご飯を炊きました。
アサリなどの貝、岩についた海苔、
父が毎日のように釣ってくる魚、それらを食べます。
釣り好きな父は、手漕ぎの舟を購入しました。
私も漕いだことはあります。