知性の人だった 自宅のアトリエには 自画像
「偲ぶ会」で、先生の思い出が語られます。
印象に残ったのは、
「先生は、知性の人だった」ということです。
「受験教育」一色の教師たちのなかで、異色の存在でした。
「生徒一人一人の人格を認める先生」でもありました。
同級生や後輩たちの話もそうでした。
私自身、先生に認めてもらったから、今の自分があるのです。
先生は「原始・古代」から「現代」まで授業されていました。
歴史の途中で終わる教師たちが多い中、
先生の最後の授業は、「60年アンポ」だったそうです。
私は、先生から日本史を学ぶことができませんでした。
自分の教わった授業は、「受験用日本史 単語暗記学習」といった内容です。
全くおもしろくありません。
しかも「戦後史」は完全にスルーでした。
そこで、担当教師に「先生、何のために歴史を学ぶのですか」と質問しました。
彼は黙りこくって、一言も答えませんでした。
もしも、亡くなられた〇〇先生から、日本史の授業を教えてもらっていたら、
歴史が好きになり、得意になっていたかもしれません。
「歴史が苦手」を克服できていたかもしれません。
だとしたら、私の人生の「悲劇」を緩和することができたのではないか(笑)。
「偲ぶ会」に、奥様が先生の「自画像」を持ってこられました。
凛とした姿は、まさに「知性の人」「意志の人」です。
絵も描かれていたのかと驚きました。
先生の弟さんの一人が「美術の先生」をしていて、その影響だとのことでした。
翌日、ご自宅を訪問してみると、2階はアトリエになっていました。
窓側を除く三方の壁の本棚には、ぎっしりと本が並んでいます。
母が認知症を発症してからの数年間、
帰郷の際、毎回、お会いして酒を飲み交わしていました。
しかし、もっと多くのことを聞きたかった … 。