人生百年 有為自然

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有為自然 202    学校から 「坊っちゃん」が消えた !?

 

   学校から 「坊っちゃん」が消えた !?

 

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キョーシたちによる対教師暴力事件。

なぜ、あのようなことが起きるのか。

メディアは、教育現場に法律家市民を入れることを強調しますが、

一切触れないことがあります。

キョーシ世界のなかで、「異を唱えることのできる教師」のことです。

 

夏目漱石坊っちゃんの世界には、いろんな教師が登場します。

狸、赤シャツ、野だいこ、うらなり … 。

坊っちゃん山嵐のような、型破りの教師もいます。

二人は、最後には学校を去るわけですが … 。

 

現在の学校に、坊っちゃん山嵐がいてもおかしくないのに、

なぜかいなくなりました。

 

かつての学校は、校長・教頭以外は、みんな「ヒラ教員」でした。

「年齢」が上だろうが、「主任」をやっていようが、

「教諭」という名の同じ「ヒラ教員」なのです。

管理職は、2人だけしかいません。

「ヒラ」でも堂々と発言できましたし、よい意見だと取り上げてもらえます。

 

ところが今は、

校長・副校長・教頭・総括教諭・教諭・臨時任用・非常勤 … と分かれています。

教師の世界も、「ピラミッド社会」になってしまいました。

「コーチョー・フクコーチョー・キョートー・ソーカツキョーユ」

「企画会議」を構成し、そこですべてが決まるのです。

 

かつての「職員会議」では、「ヒラ」も自由に発言できました。

今は、「キカクカイギ」で決められたことを、聞くだけ。

ショクインカイギは、沈黙が支配する場となり、

「上意下達」の機関になってしまいました。

 

ソーカツキョーユたちは、「管理職予備軍」です。

コーチョーのイエスマンが多くなってしまいます。

 

もしガッコーの中に、自由に意見を言い、

堂々と発言することのできる教師たちがいたら、

今回のような暴力事件は起きなかったでしょう。

「意を唱えることのできる教師」が必要です。

また職場に、「安心して相談できる教師」がいたら … 。

 

この暴力事件のニュースを見て、私が最初に思ったことです。