学校から 「坊っちゃん」が消えた !?
キョーシたちによる対教師暴力事件。
なぜ、あのようなことが起きるのか。
メディアは、教育現場に法律家や市民を入れることを強調しますが、
一切触れないことがあります。
キョーシ世界のなかで、「異を唱えることのできる教師」のことです。
夏目漱石の『坊っちゃん』の世界には、いろんな教師が登場します。
狸、赤シャツ、野だいこ、うらなり … 。
二人は、最後には学校を去るわけですが … 。
なぜかいなくなりました。
かつての学校は、校長・教頭以外は、みんな「ヒラ教員」でした。
「年齢」が上だろうが、「主任」をやっていようが、
「教諭」という名の同じ「ヒラ教員」なのです。
管理職は、2人だけしかいません。
「ヒラ」でも堂々と発言できましたし、よい意見だと取り上げてもらえます。
ところが今は、
校長・副校長・教頭・総括教諭・教諭・臨時任用・非常勤 … と分かれています。
教師の世界も、「ピラミッド社会」になってしまいました。
「コーチョー・フクコーチョー・キョートー・ソーカツキョーユ」が
「企画会議」を構成し、そこですべてが決まるのです。
かつての「職員会議」では、「ヒラ」も自由に発言できました。
今は、「キカクカイギ」で決められたことを、聞くだけ。
ショクインカイギは、沈黙が支配する場となり、
「上意下達」の機関になってしまいました。
ソーカツキョーユたちは、「管理職予備軍」です。
コーチョーの「イエスマン」が多くなってしまいます。
もしガッコーの中に、自由に意見を言い、
堂々と発言することのできる教師たちがいたら、
今回のような暴力事件は起きなかったでしょう。
「意を唱えることのできる教師」が必要です。
また職場に、「安心して相談できる教師」がいたら … 。
この暴力事件のニュースを見て、私が最初に思ったことです。