あのあと 大変だったのよ 話(45)
Kセンセーはセーキョーイクについて、語ります。
どう考えたって、自分はセーキョーイクに関して素人である。
しかし、「優れたキョーザイを生徒に提供することはできる」と考えた。
セーキョーイクのビデオも活用した。
河野美代子さんとは別な女医さんの作成・編集によるビデオである。
数巻のシリーズであった。
チューゼツの巻には、タイジの週ごと、月ごとの成長の画像が出てきた。
チューゼツする器具と、その使用の説明もあった。
長いので、必要な部分だけを見せた。
シュッサンして育児休暇が終わったばかりのカテーカのセンセーに、
ジュギョーしてもらったこともある。
セーキョーイクの専門家をコーシに招いたこともあった。
ヒニングなども持参され、セートに見せた。
お話の最後に、自分の研究所の電話番号を板書された。
「いつでも相談してね。センセーにも言わないから」と。
数年ののち、またこの講師にジュギョーを依頼した。
久しぶりに会った彼女は私に、次のように語った。
「Kセンセー、前回のジュギョーのあと大変だったのよ。
数本、電話がかかってきたの。
すでに、ニンシン〇カ月の子もいて。
本人とホゴシャと話し合って、 … 」
そのセートの名は、もちろん知らない。
ニンシンしたセートは、自分が教えていたセートたちの中にもいたのだ。
「大変なコーコー」では、大学受験を意識する必要がなかった。
セートたちは「ためになるジュギョー」だということで、
自分のジュギョーを熱心に聞いてくれた。
セーのジュギョーも、セートに歓迎された。
彼らには「知りたい、学びたい」という要求があるのだ。
いま、こんなジュギョーをしたら、
カンリショクやキョーイクギョーセーが問題にするかもしれない。
セートたちに本当に必要な「生きる力」を育てるキョーイク。
キョーシとセートが協力し、創意工夫してのびのびとしたジュギョー。
それが重要なことだ。
キョーイクギョーセーの仕事は、それを応援することだと思っている。
皆さん、どう思われますか。