古墳をめぐる謎は ? 話(66)
Kセンセーの「古墳」の話は続きます。
まだ行ったことはないが、
奈良の平城京跡のすぐ北に、「平城(へいぜい)天皇陵」がある。
歴史の本に、次のようなことが書かれていた。
平城天皇は、774年に生まれて、809年に亡くなった。
8世紀終わりから9世紀初めの人だ。
長年、「平城天皇陵」は「円墳」と信じられていた。
ところが、平城京の発掘調査の過程で、
削られた「方墳」のあとが出てきた。
「円墳」ではなく、「前方後円墳」だったのである。
しかも削られたのは、平城京ができた「710年」より少し前だ。
809年に亡くなった天皇の墓が、およそ100年前に削られていた。
これは、どういうことか。
推理小説の「謎解き」のようで、この話は面白かった。
「9世紀初め」の平城天皇陵だって信用できないとすれば、
それより4世紀前の、「5世紀」の「仁徳天皇陵」だってあやしい。
真実が明らかになるのが、こわいからか。
平成の天皇さんが、発掘を許可してくれないかなぁと期待していた。
残念ながら実現されなかった。
令和の天皇さんが認めてくれることを期待している。
妄想することがある。
発掘してみたら、大陸渡来の遺品の数々が出てくる。
そして、遺骨そのものが出てきて、DNA検査をする。
埋葬された人物が、大陸から渡来してきた人々だったらおもしろい。
桓武天皇の母親タカノノニイガサが、
チョーセン半島の「百済」の王家の血を引いているんだから、
何も不思議なことではない。
教えるために、必死で歴史の本を読んだ。
三王朝交代説など、初めて知ることばかりだった。
キョーシになりレキシの本を読んでいなければ、知ることもなく終わった。
それまでは、テンノー家は「万世一系」と信じてやまなかったのである。
分裂や、交代、断絶があった方が自然だし、
その方がおもしろいと思うのは、自分だけか。
「常識」や「通説」をくつがえす話は、楽しかった。
そんなことも、ジュギョーで話した。
セートが、どう受け止めたかは、わからない。
いずれにしても、
「古墳」が好きになってくれたセートたちがいたら、うれしい。
長くなるが、松本清張さんの「方円墳」の説はおもしろかった。
「方」が前で、「円」が後だという根拠は、あるのか。
前から見上げても、後から見ても、「台形」に見えるだけだ。
古墳は、横から見た方が雄大だ !!
「方円墳」。
荒っぽいけど、こういう風に受け止めた。
Kセンセーの「古墳ばなし」、一応区切りをつけます。
皆さん、「天皇陵を発掘できない」こと、「方円墳」の話など、
どう思われますか ?