「登校時間自由」も 進歩的なこと ? 話(68)
ニュータイプ校に変わる時の話を、
ひきつづきKセンセーが語ります。
「単位制」のコーコーでは、同学年で一律に同じ科目を学ぶのでなく、
「選択科目」を大学のようにいっぱい並べる。
自分で選ぶわけだから、1時間目に選ぶ科目がない場合も出てくる。
すると、「8時30分前」に登校するセートと、
およそ1時間半後の「10時前」に登校するセートが出てくる。
コーコーセーの段階で、
セート自身だけの力で時間の自主的な管理、基本的な生活習慣ができるのだろうか。
大いに議論になった。
例の「読書の時間」は、どうするのだ。
遅刻もほとんどなく、うまくいっているのに「読書の時間」をやめるのか。
これは、自分が異動で去ったあとの話である。
結局、セート全員、
必須の「読書の時間」にガッコーに登校することになった。
読書をしたあと、1時間目のジュギョーがないセートは、自習室で自習する。
ニュータイプ校になったら、
「読書の時間」も「遅刻ほぼゼロ」の状態も、なくなると思っていた。
ところが、「読書の時間」は残り、「遅刻ほぼゼロ」は維持されたのである。
そもそも「登校時間自由」は、セートの自主性を育てることになるのだろうか。
かつて、毎日300人余のセートがぞろぞろと遅刻してきたコーコーである。
当初、朝のSHRもなくし、クラス担任からの連絡も、
すべて「掲示板」で生徒に伝達するという話だった。
今もって、理解できない話である。
キョーイクギョーセーの担当者は、すぐに人事で変わっていく。
あとで現場に混乱が生じても、その責任を問われない。
現場感覚のない人たちが
「机上のプラン」を押しつけてくるように見えて仕方がなかった。