トーハツフクソーシドーに 複雑な思い 話(84)
ケンポーばなしを書いていたら、
ずっと前のトーハツフクソーシドーの話が途中だったのを思い出しました。
ケンポーの学習会でトーハツフクソーシドーについて、
ジョセー参加者たちから、Kセンセーに批判の声。
Kセンセーが、語ります。
トーハツフクソーシドー、
そんなものなければいいにちがいない。
ただ、「大変なコーコー」にいた当時のことを思い出すと、
複雑な気持ちになる。
市内にある十数校のなかで、ニューシ学力が一番低いレベルだった。
そこに、パーマ・茶髪・リーゼント・ソリ、タンラン・ボンタンなどが集う。
ガッコーの行き帰りにタバコを吸っている。
ゴミは捨てる。
通学のバスの中で騒ぐ。
苦情の電話が相次ぐ。
何度も出動。
地域の評判は、さんざんだった。
しかし、多くのセートは大人しくマジメだ。
ただ「○○コー」というだけで、世間から蔑視される。
チューガッコーの学力で、振り分けられてくる。
ニューガクしたコーコーに誇りをもてるはずがない。
たとえ、学力が低いコーコーであっても、
「いいガッコーで学んだ。
いいコーコー生活だった」と胸を張って卒業して行ってほしい。
そのために、総力戦だった。
大変なコーコーの立て直し。
落書きだらけの校舎内の壁は、
「塗夢装屋倶楽部」をはじめ、
生徒・保護者・ショクインの力で、全部塗りなおした。
毎日、300人近い遅刻者は、「朝のドクショ」によって一桁まで減らした。
キツエン・ボーリョクジケンなど、
年間、三桁に近かったトクベツシドーの件数は、十数件まで減らした。
金属パイプのイスを振り上げようとしたセートにだきつき、抑えたこともある。
わかるジュギョー、面白いジュギョー、
生きる上でためになるジュギョーをつくる努力もした。
ジュギョー秩序の回復にも力を入れた。
ブカツ参加のセートも増えた。
赴任した当時、ショクインの3分の1が異動を希望していた。
12年後転勤する頃には、5本の指程度にまで減少。
そういったなかで、トーハツフクソーシドーも行われたのである。
大人しくマジメなセートたちを守るためにも、
トーハツフクソーシドーは必要だった。
人は見かけで判断する。
「○○コー」の評判を、徹底的に気にした。
チューガッコーを卒業したセートたちが、暗い気持ではなく、
明るい気持ちで入学してくるコーコーにしたかった。
「たとえ学力ランクは低くても、
安心して学べる、希望をもって通えるコーコー」。
強圧的なシドーをしたつもりはない。
自分は、そんなキャラではない。
もちろん、おっかないキョーシは何人もいた。
トーハツフクソーシドー。
今思い出しても、複雑な気持ちだ。
あの時、「トーハツフクソーは自由だ」なんて、
そんなきれいごとを言えただろうか。
もちろん、セートの人格を傷つけるようなシドーは論外である。
どちらかというと、ニコニコしながらやっていた。
そのため、セートたちからは、「いーじゃん、これぐらい」と食い下がられた。
もちろん、やんわりかわした(笑)。
471~480 記事一覧
471 ウォーキングの途中で、地域花壇の草取り。 隣家の住民も。
472 トーハツケンサ。 アキナの方が好きだった。 話(83)
473 「第1章」「第2章」は歯止め。 「第1章」は、裏返しの表現。
474 ショーチョー、生まれながらにしてフジユー・フビョードー?
475 ジョセーシタギウリバでのヒキゲキ。
476 ジョセーシタギウリバでの ヒキゲキ(つづき)。
477 コクジコーイは、形式的、儀礼的なもの。 覚えるなら、遊び感覚で。
478 ウワキを文化に、ウワキのすすめ。
479 またまた、「花咲かニャンコ」「草取りニャンコ」に会う。
480 トーハツフクソーシドーには、複雑な思い。 話(84)