しかし それは 遅すぎた …
一昨日の続きです。
ガクジュツカイギのカイインコーホを選ぶ権利は、ガクジュツ会議。
シュショ―は、
その推薦にもとづき形式的に任命するだけで、任命拒否権はない。
天皇が国会の「指名にもとづき」、内閣総理大臣を「任命する」のと同じ。
ところが、こっそりホーリツの解釈を変更して、6人の学者を排除した。
排除した理由は ?
シュショ―にとって、「気に入らない学者」だったから。
アンポホーセー、キョーボーザイ、ヒミツホゴホー … 。
排除した先にあるのは ?
センゼンの「滝川事件」(1933年)、
「天皇機関説事件」(1935年)の先に、何があったか。
ドイツのキリスト教の牧師、マルティン・ニーメラーの言葉が思い出されます。
ナチスが最初キョーサンシュギシャを攻撃した。
私はキョーサンシュギシャではなかったので、
何もしなかった。
そして彼らはシャカイシュギシャを攻撃した。
私は不安だったが、
シャカイシュギシャではなかったので何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、
私はそのたびに不安になったが、
やはり何もしなかった。
そして、彼らは教会を攻撃した。
私は教会の人間だった。
だから私は何かを行った。
しかし、それは遅すぎた。
私たち一人一人に、できることは何なのだろう ?
ささやかですが、
ブログでつぶやくのもその一つかなと思っています。