人生百年 有為自然

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有為自然 559   しかし それは 遅すぎた …

  しかし それは 遅すぎた …

 

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一昨日の続きです。

 

ガクジュツカイギのカイインコーホを選ぶ権利は、ガクジュツ会議。

シュショ―は、

その推薦にもとづき形式的に任命するだけで、任命拒否権はない。

天皇が国会の「指名にもとづき」、内閣総理大臣「任命する」のと同じ。

 

ところが、こっそりホーリツの解釈を変更して、6人の学者を排除した。

排除した理由は ?

シュショ―にとって、「気に入らない学者」だったから。

アンポホーセー、キョーボーザイ、ヒミツホゴホー … 。

 

排除した先にあるのは ?

 

センゼンの「滝川事件」(1933年)、

天皇機関説事件」(1935年)の先に、何があったか。

 

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ドイツのキリスト教の牧師マルティン・ニーメラーの言葉が思い出されます。

 

  ナチスが最初キョーサンシュギシャを攻撃した。

  私はキョーサンシュギシャではなかったので、

  何もしなかった。

 

  そして彼らはシャカイシュギシャを攻撃した。

  私は不安だったが、

  シャカイシュギシャではなかったので何もしなかった。

 

  それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、

  私はそのたびに不安になったが、

  やはり何もしなかった。

 

  そして、彼らは教会を攻撃した。

  私は教会の人間だった。

  だから私は何かを行った。

  しかし、それは遅すぎた。

 

私たち一人一人に、できることは何なのだろう ?

 

ささやかですが、

ブログでつぶやくのもその一つかなと思っています。