人生百年 有為自然

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有為自然 626  「とんでもキョーカショ」 と 「びっくりキョーカショ」

 「とんでもキョーカショ」と「びっくりキョーカショ」

 

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ドイツのガッコーを見学した時のことです。

ハードカバーのぶ厚いキョーカショは、

ガッコーに置かれていて、セートたちが毎年使い回していました。

なるほどと感心したことを覚えています。

 

歴史は、古代1年間、中世・近代・現代(20世紀)それぞれに1年間ずつと、

4年間かけて学んでいました。

4冊のキョーカショです。

「現代」の巻は、ナチスについても詳しく書かれていました。

 

ニホンの歴史教育は、小・中・高と3回。

歴史用語だけが過剰に多い内容を、ただひたすら暗記させる。

ドイツでは少人数のクラスで4年間かけて、

討論を交えて授業が行われている。

うらやましく思いました。

 

ニホンは、「キョーカショに書かれたことを教え込む」という形です。

本来、キョーカショは「目的」ではなく、「手段」のはずでした。

「キョーカショを」ではなく、「キョーカショで」教える。

 

Kセンセーたちの若い頃には、

セートにわかりやすく、セートの興味をひき出す「自主教材づくり」が盛んでした。

「たいへんなコーコー」では、きわめて有効。

ところが、少しでも大学受験を意識するコーコーになると、

受験が、ジュギョー内容に制約をかけてきます。

セートたちも、受験に対応しないジュギョーに不満な顔でした。

Kセンセーにも、それを打ち負かすほどの力量がなかった。

 

ニホンのキョーイクは、「受験」が悪くしていると思っています。

私のコーコー時代から現在まで、変わることなく連綿と続いています。

そして、受験ベンキョー勝ち組のエリートたちが、

このクニの上層部を支配しているのです。

 

またセンゼンのニホンでは、キョーカショは、コクミンの思想統制に使われました。

近年、あの人たちの仲間によって、「とんでもないキョーカショ」が登場しました。

「ケンポーをカイセーすべきである」という公民キョーカショ、

「ニホンが行ったセンソーは全て正しかった」という歴史キョーカショ。

「とんでもキョーカショ」と呼ばれました。

 

私の考えは、以下のようなものです。

キョーカショのおおよその「大綱的基準」を、

それぞれの学問やキョーイク学の専門家、キョーイク現場のキョーシがつくる。

その「基準」は、政府から独立した機関によって作成する。

キョーカショは、学問・研究の発展の度合いや、

現場のキョーシたちの実践を基礎にした、自由な内容とする。

キョーシたちの自由な教材研究や実践、共同研究を盛んにする。

 

そういえば、びっくりするような歴史教科書が登場しました。

『ともに学ぶ人間の歴史』(学び舎)です。

現場の先生方がつくったものです。

暗記中心でなく、「考える、問いを発する」ことに力点をおいた教科書です。

インターネットで検索して調べてみてください。

面白いと思われましたら、発行元に注文されるとよいと思います。

少し、高い値段ですが。

なお、このキョーカショは、私立 ナ〇 チューガッコーも使用。

いろいろ話題になりました。

  (ナ〇 コーコーは、T大合格者数第4位。2020年度)

 

 

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Yotoroさんのコメントに刺激されて、

キョーカショについてとりとめもないことを書いてしまいました。

 

コメントの内容に即して、もうちょっと書きたいと思っています。

 

* 今日は、「4分の3ポッキーの日 ?