「とんでもキョーカショ」と「びっくりキョーカショ」
ドイツのガッコーを見学した時のことです。
ハードカバーのぶ厚いキョーカショは、
ガッコーに置かれていて、セートたちが毎年使い回していました。
なるほどと感心したことを覚えています。
歴史は、古代1年間、中世・近代・現代(20世紀)それぞれに1年間ずつと、
4年間かけて学んでいました。
4冊のキョーカショです。
「現代」の巻は、ナチスについても詳しく書かれていました。
ニホンの歴史教育は、小・中・高と3回。
歴史用語だけが過剰に多い内容を、ただひたすら暗記させる。
ドイツでは少人数のクラスで4年間かけて、
討論を交えて授業が行われている。
うらやましく思いました。
ニホンは、「キョーカショに書かれたことを教え込む」という形です。
本来、キョーカショは「目的」ではなく、「手段」のはずでした。
「キョーカショを」ではなく、「キョーカショで」教える。
Kセンセーたちの若い頃には、
セートにわかりやすく、セートの興味をひき出す「自主教材づくり」が盛んでした。
「たいへんなコーコー」では、きわめて有効。
ところが、少しでも大学受験を意識するコーコーになると、
受験が、ジュギョー内容に制約をかけてきます。
セートたちも、受験に対応しないジュギョーに不満な顔でした。
Kセンセーにも、それを打ち負かすほどの力量がなかった。
ニホンのキョーイクは、「受験」が悪くしていると思っています。
私のコーコー時代から現在まで、変わることなく連綿と続いています。
そして、受験ベンキョー勝ち組のエリートたちが、
このクニの上層部を支配しているのです。
またセンゼンのニホンでは、キョーカショは、コクミンの思想統制に使われました。
近年、あの人たちの仲間によって、「とんでもないキョーカショ」が登場しました。
「ケンポーをカイセーすべきである」という公民キョーカショ、
「ニホンが行ったセンソーは全て正しかった」という歴史キョーカショ。
「とんでもキョーカショ」と呼ばれました。
私の考えは、以下のようなものです。
キョーカショのおおよその「大綱的基準」を、
それぞれの学問やキョーイク学の専門家、キョーイク現場のキョーシがつくる。
その「基準」は、政府から独立した機関によって作成する。
キョーカショは、学問・研究の発展の度合いや、
現場のキョーシたちの実践を基礎にした、自由な内容とする。
キョーシたちの自由な教材研究や実践、共同研究を盛んにする。
そういえば、びっくりするような歴史教科書が登場しました。
『ともに学ぶ人間の歴史』(学び舎)です。
現場の先生方がつくったものです。
暗記中心でなく、「考える、問いを発する」ことに力点をおいた教科書です。
インターネットで検索して調べてみてください。
面白いと思われましたら、発行元に注文されるとよいと思います。
少し、高い値段ですが。
なお、このキョーカショは、私立 ナ〇 チューガッコーも使用。
いろいろ話題になりました。
(ナ〇 コーコーは、T大合格者数第4位。2020年度)
Yotoroさんのコメントに刺激されて、
キョーカショについてとりとめもないことを書いてしまいました。
コメントの内容に即して、もうちょっと書きたいと思っています。
* 今日は、「4分の3ポッキーの日」 ?