人生百年 有為自然

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有為自然 665  吾輩は 猫( )である

  吾輩は 猫( )である

 

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( )に入る言葉は、何でしょう ?

「好き」もいいのだが、今日は違います。

 

ウォーキングの話。

みんなマスクをしているので、

ウォーキング中に出会った人が、誰だかわからないことが多い。

しかし相手は、私がマスクをしていてもすぐわかるようだ。

 

歩きながら、いつも思う。

小さい頃に、家にこもらず、走り回っていたら、と。

足が遅いのは、外に出て運動していなかったからだと、新聞記事に出ていた。

野山を駆けまわっていたら、足がもっと早くなっていただろう。

もっとスポーツもできただろう。

そうすれば、異なる人生をおくったに違いない。

体力があったら … 。

今になっては、もう遅い。

見果てぬ夢だ。

 

現在は、ただ健康寿命のために、ひたすら歩く。

 

最初の話に戻る。

小学校の入学式のときの、クラス写真を見て驚いた。

小学一年生で、すでに「猫( )」なのだ。

小学校の同窓会でも、同級生にそのことを言われた。

 

退職の時にかけられた言葉も、

「〇〇さんの猫( )、印象に残っています」と。

 

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フロ上がりに鏡に映った自分の姿を見て、

60年以上もこの姿だったのかと、あらためて愕然とした。

 

シラノ・ド・ベルジュラックや、

ノートルダムの背虫男に親しみをもつわけだ。

 

吾輩は、猫背である。

一生涯、猫背であった。