人生百年 有為自然

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有為自然 788  われに 欠けたるものは ?

  われに 欠けたるものは ?

 

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この世をば  わが世とぞ思ふ  望月の

  欠けたることも  なしと思へば

 

自分を見つめれば、欠けたるものばかり。

美貌、知力、運動神経、記憶力、想像力、人格 … 。

挙げればきりがありません。

 

「体験したことのないものは、見えない」。

講演会で、そんなことを聴きました。

なるほど。

障害者や、LGBTや、サベツにあっている人たちに出会わなければ、

彼らのことを理解できない、と。

 

講演会や近所の人たちとの交流で、

「自分に決定的に欠けているもの」がわかったのです。

 

自分は、同世代のダンセーたちに比べて「若い」と言われます。

20代のダンセーと一緒に、マスクをして立っていたら、

高齢ジョセーから「お兄ちゃんたち」と言われたことがありました。

「私、〇歳ですよ」と答えたら、20代のお兄ちゃんも驚いていたのです。

自分の頭の中は、

十代・二十代のころから全く変わっていないところがあります。

ドン・キホーテそのものです。

この「若さ」の理由もわかりました。

 

老人会のアラエイトのジョセーたちが、

近所のアラフィフ、アラフォーの若いジョセーたちのことを「知っている」。

「なぜ?」と思っていたら、その理由も同じことなのです。

 

つまり、私に決定的に欠けているのは「子ども」でした。

「子どもがほしい」と思ったことはほとんどありません。

自分が「子どもを育てる」ことをイメージしたこともありません。

「親」をしたことがないので、「子」のことが全くわかっていない。

「子しらず」のまま、この年齢になってしまったのです。

 

アラエイトのジョセーたちから見たら、

アラフィフ・アラフォーの女男は、自分の「娘・息子」と同じ。

この地域にピーク時におよそ120名の子ども会があった頃の、

子どもたちなのでしょう。

そういうことだったのか。

 

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自分から見ると、

ラカン・アラフィフ・アラフォーは、「若いジョセー・ダンセー」なのです。

「子どもと同世代」などとは、想像もしませんでした。

 

体験していないことは見えない。

まさにその通りです。

 

いつまでも「若いまま」。

いや「バカイまま」な理由も今頃わかって、愕然とした次第です(笑)

 

皆さんのブログで、

「子」や「孫」のことを間接体験させていただいています。

感謝です。