人生百年 有為自然

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有為自然 789 生まれながらにして 「不自由の刑」?

   生まれながらにして 「不自由の刑」?

 

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あの家の人々は生まれながらにして、

「不自由の刑に処せられている」と思いませんか。

 

生まれたときから、

職業選択の自由もなければ、表現の自由もありません。

自由に反論することもできません。

一族のことや自分のおかれた立場を考えて、

とことん言葉を選び、言葉少なに発言しています。

本人が望んで、あの一族に生まれてきたのではありません。

 

ですから、今回のマスコミのバッシングを見ていて、

「お気の毒」「人権侵害の極み」と思いました。

 

自分があの立場におかれていたら、

「お前ら、わかるか。 オレがどんな気持ちでいるのか」

言い返したでしょうね。

そうするとまた、

マスコミやネットのおいしい餌食になったことでしょう。

 

記者たちや、テレビのコメンテーターたちは

全く攻撃されない、反論されない場所から、

一方的に矢を放っているのです。

ネットの世界も、そうでしょう。

 

「テンノーセーのことを、どう思っているのですか ?」という

ブロ友さんからの質問に応えるためにこの記事をつくりました。

 

このテーマを考えるとき、まずフランスの哲学者サルトルの言葉、

「我々は自由の刑に処せられている」が浮びました。

学生時代にこの言葉に出会い、衝撃を受けました。

そして、神の存在からの解放感も。

 

サルトルの言葉を借りるならば、

あの家の人々は生まれながらにして、

「不自由の刑に処せられている」のです。

 

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だいたい元コンヤクシャの代理人が弁護士ではなく、

シューカンシキシャというのがウサンクサイ。

 

シューカンシって、売れてなんぼのものでしょう。

この問題が長引けば長引くほど、売れるのです。

叩けば叩くほど、売れる。

バナナじゃあるまいし。

他のシューカンシ記者たちも、同じ。

口には出さないけれど、

こぞって代理人のシューカンシキシャに感謝 ?

 

シューカンシキシャではなく弁護士同士が交渉していたら、

解決そのものを目的にしますから、

全く違った展開になったことでしょう。

 

テンノーセーに対する第1回目は、

生まれる前に自身は何の悪いこともせず、

また希望してこの家系に生まれてきたわけでもないのに、

生まれた途端、

「不自由の刑に処せられた人々」というとらえ方でした。

 

私は何とかして彼らを自由にしてあげることができたら … 、

そんな気持ちです。

 

これは、テンノーセーに対する間違った考え方 ?

このクニでは、こんな考え方は許されない ?

 

つい熱くなってしまいますね(笑)

みなさんは、どうお思いになりますか ?