毎年 この時期に思い出す同級生
「ちむどんどん」を毎朝、見ています。
高校の同級生は、先祖の地であるオキナワで就職しました。
そして彼は今も、オキナワで精一杯生きています。
自分はこれまでに7回、オキナワに行きました。
オキナワが大好きです。
首里城、グスク、青い海、青い空 … 。
前にも書きましたが、
父方の叔父は、少年兵に志願して沖縄で戦死しました。
「平和の礎」を初めて訪れたとき、叔父の名前はありませんでした。
その後、親戚の努力により叔父の名前が刻まれます。
ヘノコの新基地建設の埋め立てのために使われる土砂。
その土のなかに叔父の遺骨が含まれているかもしれません。
セーフは、いったいどういう神経をしているのか。
オキナワケンミンやオキナワ戦の死者など、
セーフがいつも口にする「英霊」には含まれていないのでしょう。
そもそもオキナワを意識したのは、高校時代。
世の中のことに目覚めるきっかけとなりました。
それまでオキナワが米軍の占領下にあることさえも、全く知りませんでした。
オキナワのことを誰も教えてくれなかったからです。
親たちも、学校の教師も。
無性に腹が立ちました。
「同じコクミンでありながら、
このクニの大人たちはオキナワの人々を見捨ててきたのだ」と。
この構図は、今も変わりません。
そのことがきっかけとなり、仕事のうえでは、
できるかぎりオキナワの歴史・現実を伝え続ける努力をしてきました。
しかし、ほとんど無力だったかもしれません。
数年前に、40数年ぶりに会った同級生は言いました。
「オキナワは、絶対に負けない。
勝つまでたたかいつづけるから。
勝つための秘訣は、あきらめないことだ」と。
彼は、高校時代、バスケットボール部の主将でした。
穏やかな人柄。
闘士と言えるような風貌は全くありませんでした。
しかし彼の心のなかには、自分には考えられないような、
知性と意志と情熱があったのだなと思います。
そして、今も。
二ホンにあるベイグン基地の70%を押しつけられているオキナワ。
危険と隣り合わせのオキナワ。
一刻も早く「本土並み」で「基地のない平和な島」に戻したい。
みんながチムドンドンするようなオキナワに。
さあ残りの人生、
自分も自分にできることをやりつづけるか。