人生百年 有為自然

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有為自然 1142 無常の風 来たりぬれば … 白骨のみぞ残れり  230917

     無常の風 来たりぬれば … 

          白骨のみぞ残れり  230917                                    

 

暑さ寒さも彼岸まで。

まもなく、秋のお彼岸です。

 

勤めている頃、多くの葬式に出かけました。

葬式の時、

お坊さんが何と言っているか全くわかりませんでした。

 

 

しかし、あるお葬式でお坊さんの唱える言葉を聞いて、

「う~ん、なるほど」と感心したことがありました。

「古文」は大の苦手な科目だったのに、

言葉も意味も、初めて聞き取れたのです。

以下が、その文章です。

みなさんも、どうぞ目を通してみてください。

 

  されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて

  夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。

  すでに無常の風きたりぬれば、

  即ち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、

  一つの息ながく絶えぬれば、

  紅顔むなしく変じて、

  桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、

  六親眷属(ろくしんけんぞく)]あつまりて嘆き悲しめども、

  さらにその甲斐あるべからず。

  さてしもあるべき事ならねばとて、

  野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、

  ただ白骨のみぞ残れり。 

 

【意味】

  それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、

  夕暮れには白骨となる身であります。

  もはや無常の風が吹いてしまえば、たちどころに眼を閉じ、

  一つの息が永く絶えてしまえば、

  血色の良い顔がむなしく変わってしまう、

  桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、

  すべての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、

  どうする事もできません。

  そのままにはしておけないので、

  野辺に送り荼毘(だび)に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、

  ただ白骨だけが残るだけです。

 

これは、『白骨の御文章』。

室町時代の、浄土真宗の僧・蓮如の文章です。

700年も前の人の言葉ですが、心に染み入ります。

 

みなさん、どうでしたか ?

 

 

まとめ  葬式で、初めてお坊さんの言葉を聞きとれた。

     蓮如の『白骨の御文章』。

     なるほどと、納得できた。