無常の風 来たりぬれば …
白骨のみぞ残れり 230917
暑さ寒さも彼岸まで。
まもなく、秋のお彼岸です。
勤めている頃、多くの葬式に出かけました。
葬式の時、
お坊さんが何と言っているか全くわかりませんでした。
しかし、あるお葬式でお坊さんの唱える言葉を聞いて、
「う~ん、なるほど」と感心したことがありました。
「古文」は大の苦手な科目だったのに、
言葉も意味も、初めて聞き取れたのです。
以下が、その文章です。
みなさんも、どうぞ目を通してみてください。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、
即ち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、
一つの息ながく絶えぬれば、
紅顔むなしく変じて、
桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、
六親眷属(ろくしんけんぞく)]あつまりて嘆き悲しめども、
さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、
野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、
ただ白骨のみぞ残れり。
【意味】
それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、
夕暮れには白骨となる身であります。
もはや無常の風が吹いてしまえば、たちどころに眼を閉じ、
一つの息が永く絶えてしまえば、
血色の良い顔がむなしく変わってしまう、
桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、
すべての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、
どうする事もできません。
そのままにはしておけないので、
野辺に送り荼毘(だび)に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、
ただ白骨だけが残るだけです。
これは、『白骨の御文章』。
700年も前の人の言葉ですが、心に染み入ります。
みなさん、どうでしたか ?
まとめ 葬式で、初めてお坊さんの言葉を聞きとれた。
蓮如の『白骨の御文章』。
なるほどと、納得できた。