1年半ぶりに会った母は … 弾丸帰省 (後編) 240417
高速に再進入し、
叔母(母の妹)の老人ホームに向かう。
15分も遅れて、2時半に到着。
今回は施設の中での面会だった。
(前回は建物の外と内、ガラス越し)
透明ビニール越しの会話。
叔母からは、「涙が出る」と何度も言われた。
だんだん祖母に似てきている。
叔母は、叔父がまだ生きていると思っていた。
それを否定せず話をつづける。
15分ほどで面会を終えた。
車の中から、母の施設に電話。
「飛行機の到着が遅れました。
3時15分の面会予定ですが、若干遅れます」と連絡する。
すると「予定は2時半に入っていましたよ。
あとどれぐらいで来られますか」と。
予約の時間が完全に違っている。
どうしてだろう。
急いで車を走らせた。
結局、1時間も遅れたことになる。
今回は室内で、母の手に触れて話をしてもいいとのことだった。
持参した家族写真や、私の名を大きく書いた紙を見せた。
手をにぎって何度も、「○○(私の名)だよ、わかる?」と繰り返した。
口を開かず、マスクをはずして顔も見せた。
しかし一度も、私を認識した反応はなかった。
母(97歳)は、もう私を思い出せないのだ。
ショックだった。
そのことを電話で兄に話すと、弟が最初に忘れられたそうだ。
当時、弟はかなりショックを受けていた、と。
その次は、母の面倒を見ている兄。
兄や弟たちは、私よりうんと早かったのだ。
私が最後になったのは、
子どもの頃から私が病弱だったために心配をかけていたからであろう。
介護スタッフの話によれば、母の健康状態はいいそうだ。
話しかけると反応もあるし、声を発することもあると。
しかし私は、母の声を一言も聞くことができなかった。
私たち子どもの記憶は、母にはもうなくなっている。
しかし優しい介護スタッフに囲まれ、健康に過ごせている。
それでいいのではないかと思うことにした。
スタッフにお礼を言ってホームを出た。
父の眠る霊園へ。
亡くなって25年。
生きていたら、今年百歳である。
久しぶりの墓参。
墓の位置がわからず、事務所で教えてもらう。
草が少し生えていたので、手の届く範囲を抜き取る。
そしてビジネスホテルへ。
着いてみると、駐車場の予約が必要だったとのこと。
近くの駐車場を借りることにした。
一晩でいくらになるのか。
部屋に入ると、猛烈なタバコ臭。
非喫煙ルームを依頼したはずだが … 。
説明書を読み直すと、喫煙・非喫煙の注文はできなくなっていた。
一晩、この匂いに苦しむのかとガックリ。
しかし、嗅覚疲労ですぐに慣れた。
そして、夕食。
久しぶりに郷土料理を食べられる店は … 。
駅の観光案内所で教えてもらう。
そしてやっと食事にありつけた。
こんなに疲れる帰省は、これまでなかった。
1年半ぶりの弾丸帰省(一泊二日)。
アイカタが要介護3から要介護1になり、
一人で食事できるようになったので可能になったのである。
次の帰省は、いつになることか。
前回の帰省。
私の留守の間にアイカタが圧迫骨折になり、介護生活が始まった。
あれから1年半、どんどん回復している。
母とアイカタはとても仲が良かった。
「老後や介護についてちゃんと考えておきなさい」との、
母から私たちへの贈り物だったのかもしれない。