「あなた、誰?」 手を握ったときの笑顔
昨日は、一人住まいの高齢者が倒れたとき、どんなことになるか。
参考になればと思い、記憶をたどってみました。
後日談を綴ります。
いろいろ連絡がきてそのたびに出かけました。
そして数年ののち、義伯母の危篤の連絡があり、病院へ急行しました。
血縁の甥夫妻も駆けつけ、葬儀屋さんといろいろ相談します。
甥が、お棺に入れる花や死に化粧を渋るのには唖然としました。
「死に化粧はしてあげましょうよ。費用は伯母さんの預金から出るのですから」と、
思わず言ってしまいます。
その時には、かなり預金などが残っていることも、
生活保護の申請が不要なこともわかってたからです。
火葬場へは、甥夫婦と、お店で義伯母と親しかった客2人、
そして私、合わせて5人が行きました。
甥夫婦はお骨を嫌がったので、私が持ち帰りしばらくあずかります。
納骨は、墓石屋さんと私の二人ですませました。
銀行預金や株など合わせて三千万円ほど残っていたそうです。
警察の連絡を受けてシャッターを開け、
自宅兼お店に入った時は、赤貧洗うがごとき状態でした。
あんなにお金をももっていたのであれば、
自分のために使えばよかったのにと思います。
義伯父に先立たれ、子どものいない義伯母は、
老後が不安でつましい生活をしていたのでしょう。
預金がいくらあるかさえ、わからなくなっていたと思います。
生活保護申請のことを含め、無我夢中で駆け回ったのは何だったのだろう。
「お金と時間に余裕があるから、できるんですよ」と
同僚から言われたのを思い出します。
当時、年金生活者になったばかりで、非常勤の勤務でした。
遺品として写真を数枚もらいました。
血縁の甥姪が数人いたそうですが、彼らからお礼の一言もありませんでした。
世話をする非血縁者と、何もしなかった血縁者たち。
まるでドラマを見ているようです。
義伯母の「あなた、誰?」という言葉と、
わかれる時に「また、来るね」と手を握ってあげたときの感触と笑顔を思い出します。
少しは義伯母孝行をしたのだから、それで十分だったのかな。
自分たちのときの予習も、させてもらったわけですから。
* 道路のわきにサツキが咲き始めました。
白いサツキが大好きです。