「母さん 〇〇だよ 〇〇 わかる ?」
3年ぶりの面会 221017
「母さん、○○だよ。 わかる ?」
「○○だよ。○○」
○○とは、私の名。
何度も何度も、声をかけ続けました。
老人ホームの面会担当の方が、
面会所になっている1階の窓を開けて下さいました。
アクリル板の向こうに、車椅子に座った母がいます。
母に直接触れることはできません。
この3年の間に母は、言語を失っていました。
じっと私を見つめています。
くり返し繰り返し、声をかけました。
私の胸の前に、
平仮名で大きく「○○」と書いたA3の用紙を掲げて見せました。
じっとそれを見つめています。
「〇〇だよ」と声をかけ続けました。
その間にスマホで、母の動画写真を撮ります。
わずか10分間の面会です。
最後に「また来るからね」と手を振ると、
母も一度だけわずかに手を振りました。
しかし、そのあともう反応はありません。
声をかけた時に母は、何度か瞬きしました。
きっと私を認識できたのだと思っています。
私の思い込みかもしれませんが。
90代後半に入った母。
いつなんどき、何があってもおかしくありません。
もしそういうことになったとしても、
首都圏にいる兄弟は、呼ばないことになっているます。
ですから、母が生きているうちに何としても会いたい。
その一念で、帰省してきました。
面会が終わると、
今度は叔母が入っている別の施設(同じく認知症)へとレンタカーで向かいます。
私が生まれる時に手伝いに来てくれた、母の妹。
高校時代、叔母の近所に下宿していたので、
3年間、私の衣類を洗濯してくれました。
その叔母とは、窓ガラス越しにスマホで声をかわします。
叔母の目からは、涙が流れ続けていました。
叔母は、たしか90歳です。
そして、恩師の奥様(90歳近い)にも会ってきました。
まだお一人で、元気に生活されています。
恩師は、コロナ流行の前の年に亡くなられました。
私が社会的なことに目覚める、そのきっかけをつくって下さった先生です。
1泊2日の強行軍でした。
田舎に帰ったときの話は、もう少し続きます。