人生百年 有為自然

人生百年。地域づくり、日々の生活、思いなどを中心にしたブログです。

有為自然 944  「母さん 〇〇だよ ○○ わかる ?」 3年ぶりの面会  221017

 「母さん  〇〇だよ  〇〇 わかる  ?」

    3年ぶりの面会  221017

 

 

「母さん、○○だよ。 わかる ?」

「○○だよ。○○」

 

○○とは、私の名。

何度も何度も、声をかけ続けました。

 

老人ホームの面会担当の方が、

面会所になっている1階の窓を開けて下さいました。

アクリル板の向こうに、車椅子に座った母がいます。

母に直接触れることはできません。

 

この3年の間に母は、言語を失っていました。

じっと私を見つめています。

くり返し繰り返し、声をかけました。

 

私の胸の前に、

平仮名で大きく「○○」と書いたA3の用紙を掲げて見せました。

じっとそれを見つめています。

「〇〇だよ」と声をかけ続けました。

 

その間にスマホで、母の動画写真を撮ります。

 

わずか10分間の面会です。

最後に「また来るからね」と手を振ると、

母も一度だけわずかに手を振りました。

しかし、そのあともう反応はありません。

 

声をかけた時に母は、何度か瞬きしました。

きっと私を認識できたのだと思っています。

私の思い込みかもしれませんが。

 

90代後半に入った母。

いつなんどき、何があってもおかしくありません。

もしそういうことになったとしても、

首都圏にいる兄弟は、呼ばないことになっているます。

 

ですから、母が生きているうちに何としても会いたい。

その一念で、帰省してきました。

 

面会が終わると、

今度は叔母が入っている別の施設(同じく認知症へとレンタカーで向かいます。

 

私が生まれる時に手伝いに来てくれた、母の妹。

高校時代、叔母の近所に下宿していたので、

3年間、私の衣類を洗濯してくれました。

 

その叔母とは、窓ガラス越しにスマホで声をかわします。

叔母の目からは、涙が流れ続けていました。

叔母は、たしか90歳です。

 

 

そして、恩師の奥様(90歳近い)にも会ってきました。

まだお一人で、元気に生活されています。

恩師は、コロナ流行の前の年に亡くなられました。

私が社会的なことに目覚める、そのきっかけをつくって下さった先生です。

 

1泊2日の強行軍でした。

田舎に帰ったときの話は、もう少し続きます。