お父さんは 亡くなったの ?
認知症で施設に入所している母を見舞うため、
また「恩師を偲ぶ会」に出席するため、帰郷してきました。
予約投稿していた記事への☆マークやコメントありがとうございます。
これから、お返事を書きたいと思います。
また、しばらく皆さんの記事を読んでおりませんでした。
今日は、時間をかけて読もうと思っています。
これまで母に会いに行くと、「〇〇(私の名)」と笑顔で迎えてくれていました。
今回は、ついに私の名が出なくなりました。
「〇〇だよ」と言うと、「〇〇ね」と思い出します。
認知症になって、6年目です。
数秒前に話したことも、すぐに記憶が消えます。
くりかえし出て来る言葉は、「お父さんは亡くなったの?」です。
「そうだよ」
「いつ亡くなったの?」
「ずいぶん前だよ」
「だから私はここにいるの?」
「そうだよ」
「お酒が好きだったねえ。飲むと人が変わったね」
「ここは、どこ?」
「◇◇だよ」
「そうね」
会話がとぎれると、また繰り返されます。
「お父さんは、どこにいるの?」
「だから、私はここにいるの」
「ここはどこ?」
「おカネ(施設への費用)はどうしているの?」
「私は、寝てばかりだよ」
「本でもあればいいんだけどね」
母は、半世紀にわたって父の飲酒で苦労しました。
飲むと、父の人格は変わります。
今の私の年齢になっても、毎晩遅くまで酒を飲んでいました。
母の一生は、父の飲酒に振り回された一生でした。
それでも認知症になった今、「父の不在」が一番気になっているのです。
あれだけ大変な思いをしたのに、夫婦というものは傍からはわかりません。
「ビターハーフ」(苦い片割れ)ではあったけれども、
「ベターハーフ」(良き配偶者)でもあったのでしょう。
同居していた息子に先立たれた叔母夫婦と、
60余年連れ添った夫を亡くされた、恩師の奥様のところにも行きました。
県庁所在地ではありながら、高齢化がすすむ地方の一端を垣間見る思いでした。
飛行機で帰ってきて、空港からの電車の中でのこと。
アラフォーと思われる女性から「お座りになりますか?」と言われ、
「ええ。ありがとうございます」と答えて座りました。
生まれて初めて、席をゆずってもらったのです。
「次の駅で降りるのだろう」と思って、躊躇しませんでした。
ところが、彼女は5駅目に降りていきました。
私自身は10駅ほど座ることができましたので、ほんとうに助かりました。
ジジイとはいえ、髪はふさふさだし、
外見上はまだまだ「高齢者」に見られないと思っていたのですが(笑)。
この数日間の疲れが顔に出ていたのでしょう。
「ついに席を譲られる日が来たか!!」という感じです。
「恩師を偲ぶ会」の話など、明日からお話したいと思っています。