街で見かけても わからないね
「〇〇先生を偲ぶ会」のホテルロビー。
ウン十年ぶりに会うメンバーです。
最初に現れたのは、後輩のA君。
つづいて、高校受験の前日、列車のなかで一目ぼれした同級生のBさん。
「太ったねぇ」
「街で見かけても、わからないね」
「健康優良児というところかな」
女性に対して発する言葉ではありません。
かつての華奢な姿は、どこにもない。
本人も笑いながら、「体重が1.5倍になった」と言っていました。
私も以前、1.5倍になっていたことがあります。
今は、「20歳」のころの体重です。
白い髭を顔じゅうに伸ばした、チョイ悪おやじ風の同級生のC君。
今年の2月に、妻を亡くしたばかりでした。
気がついたら別のテーブルで話し込んでいる、後輩のD君。
「全然、変わらないね」と言うと、
「成長していないということですよねぇ」と。
「いやいや君は、高校時代にすでに成長していたんだよ」と返します。
亡くなった後輩の妻であるEさん。
「どうして、皆さん、お知り合いになったのですか?」
「受験体制に批判的な生徒が集まった弁論部と、
その周囲の人間たちです」と答えました。
そして先生の奥様に、先生の弟さん。
先生と奥様の世話をしてきた司法書士のGさん(先生の教え子、私たちの6年後輩)。
私が「乾杯」の音頭をとりました。
後輩に、「人間というのは、社会の中でもまれて変わるものだけど、
◇◇先輩は、話し方も生き方も高校時代のままですね」と言われます。
つまり、成長していない !!(笑)。
生きる姿勢は変わっていない、そうだと自分でも思っています。
そもそも集まったメンバーは、「弁論部」とその「周囲」の人間たち。
受験教育のあり方を批判する同好会をつくろうとしたところ、
〇〇先生から「職員会議で承認されるのはむずかしいと思う。
部員ゼロの弁論部で活動した方が早い」と助言されたのです。
先生は、そのときの顧問でした。
「授業」を教わったのは、3人だけ。
ちなみに、公の場、文化祭で「弁論」したのは、私しかいません。
「名ばかり弁論部」と言った方がよいかもしれません。
「偲ぶ会」での話は、つづきます。