諸行無常 無常の風来たりぬれば … 230403
前回の記事は、思いっ切り空振りだった。
しかもブログ4周年の日、アクセスもコメントも少なかった。
ううん? って、思った方は今からでも、どうぞ。
「1051 『四月は痴れる』を吹き飛ばしたい 230401」。
さて、記事「1049 浦島太郎」の記事へのぐんちゃんさんのコメント。
「思い出の場所がなくなる、無常のこの世では大いにありえること」
「なくなる前、行けるうちに行っておこうと思いました」とあった。
「無常」という言葉に久しぶりに触れて、感激、納得。
これまでになくなってしまった、思い出の場所はいくらでもある。
4歳まで住んでいた町営の木造一戸だての住宅は、更地になっていた。
蓮華、菜の花、草、溺れそうになった小川 … 。
12歳までいた市営住宅(木造一戸建て)は残っていた。
あの狭いところで、ヤギを飼っていたのか。
しかし、隣の鉄筋コンクリートの2階建て市営アパートは消えていた。
父の転勤で移り住んだ、海岸近くの市営住宅(4軒長屋)。
なくなり、草ぼうぼうになっていた。
家から海岸まで50メートル。
夏休み、毎日泳ぎに行った。
卒業した中学校。
木造校舎はなくなり、
新しく立て替えられたコンクリートづくりの校舎も、もう使われていない。
クラス担任が、社会科の授業のかわりに、
みんなで海岸に貝を取りに行き、大鍋で煮て食べた。
大学時代の学生寮も、なくなっていた。
近くの大学の敷地になり、学生寮跡の石碑だけが … 。
母校の文学部も、本部キャンパスも、
すっかり建て替えられた。
就職して2軒目も3軒目の、最後に住んだアパートも消えた。
3軒目は、初めての風呂付きだったので大感激した。
両親が退職寸前に建てた実家。
今は、空き家になっている。
挙げれば、きりがない。
ほんとうに「諸行無常」である。
この言葉の意味は、
「この世の万物は常に変化して、
ほんのしばらくもとどまるものはないこと」。
「無常の風来たりぬれば …」については、
そのうちにまた記事にするつもりです。
まとめ ぐんちゃんさんの「無常」という言葉、久しぶりで感慨深い。
これまでに無くなった建物を、次々に思い出す。
ほんとうに「諸行無常」である。