人生百年 有為自然

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有為自然 1053 沈黙の運動場 空っぽの教室 そして 桜の木は残った …  230405

  沈黙の運動場 空っぽの教室

    そして 桜の木は残った …  230405

 

 

久しぶりにKくん(Kセンセー)と電話で話した。

2、3年前、彼もかつての勤務校を訪問した、と。

以下は、Kくんの話。

 

「○○高校前」というバス停前にあったコンビニ。

跡形もなく消え、更地になっていた。

 

校門を入り、駐車場へ。

数台しか止まっていない。

 

受付で副校長に会う。

「片付けで慌ただしいので、校内を自由に見て回ってください。

帰るときには、声をかけてください」と言われた。

 

職員室には数人の教師が、最後の片づけをしていた。

机の配置は、勤めていた頃のままだ。

タイル1枚1枚を数え、

方眼紙を使って、

職員の机の新しい配置を書き込んでいったのが、なつかしい。

 

教室に行く。

机・イスが一つもない。

黒板には、

「○○高校、さようなら △年×組」と大きな文字で書かれていた。

生徒たちが書いたのだろう。

 

生徒昇降口へ。

靴箱のあるところの壁が、最初にペンキを塗った場所だ。

当時は、「荒れた高校」「地域に嫌われた高校」だった。

校舎内の壁は、落書きだらけだった。

 

生徒と一緒につくった「塗夢装屋(トムソーヤ)同好会」。

壁の落書きをペンキで塗り直し、校内を美しくすることが目的の同好会だ。

意味は、「夢を塗るペンキ屋」

高校はあまたあれど、

ペンキ塗り同好会なんて、われわれだけだっただろう。

廊下や階段のペンキを塗ったあとが、今もはっきりわかる。

 

 

図書室へ。

窓から覗くと、一冊の本もない。

県内の高校で、最初の時期に始めた「朝の読書」も、

これで終わりだ。

県下のほとんどの高校で、絶えてしまう。

県は「朝の読書」を広める施策は何もしなかった。

ほとんどカネをかけなくて済み、効果抜群の教育改革なのに。

 

2階の通路から体育館へ。

ガランとしている。

あの壇上から、学年主任・生徒指導主任としてよく話をしたのを思い出す。

 

運動場へ。

野球部も他の部活の生徒も、誰一人として練習していない。

人っ子一人いない。

まさに「沈黙の運動場」だ。

 

 

運動場の手前、職員室の前の桜は満開だ。

「樅ノ木」ならぬ、桜の木は残った。

 

県は、自分が勤めている頃、普通科高校としての継続を許さなかった。

校名を変更し、改編した総合学科高校も、今度ついに閉校にした。

県内では、最も成功した例の一つだったのに。

県は、この改編に莫大な費用を使った。

得をしたのは、電子機器販売でもうけた企業だけか。

 

    …

 

以上が、彼の話だ。

 

Kくんのかつての勤務校もすでに閉校になった。

二、三年前の3月末。

閉校寸前に慌てて見に行ったときの話だという。

もはや、所有が県から市に移ってしまい、立ち入ることも許されない。

 

この話を聞いて、「切り捨て」「使い捨て」の言葉が浮かんできた。

伝統校・進学校は、そんな目にあわない。

廃棄処分にあうのは、いわゆる学力底辺校だけだ。

 

まとめ  Kくんと電話した。

     彼も、閉校直前に元勤務校を訪問したそうだ。

     沈黙の運動場、空っぽの教室。

     ただ桜の木は残った。

     県による「切り捨て」「使い捨て」か。