8月15日に 考えたこと
8月15日になると、オキナワのことを考えてしまう。
高校時代の同級生は、いまごろ、どうしているかな。
相変わらず、元気にがんばっていることだろう。
会ったことのない叔父のこと。
少年兵に志願して、オキナワで戦死し、平和の礎に名前が刻まれている。
今夏のオキナワは、コロナで大変なことになっている。
先の大戦で、「捨て石」にされたオキナワ。
コロナのことでも、ミゴロシにされているような気がしてならない。
ヘノコに反対することへの仕返しか ?
「たてつくものは、救わないぞ」と言わんばかり … に見える。
テレビで、医学関係者が発言していた。
セーフが、オキナワの軽症・無症状の人を、
患者が少ない地域と相談し、そこの病院や施設に移送する。
ジエータイ機も活用する、とか。
すごい案だな、と感心。
でも、セーフは、ミゴロシの方をえらぶのかな。
8月15日を、祖国が解放された日として喜び迎えた人たちがいた。
そのことを、長いこと知らなかった。
他方、わがクニには、「レキシテキにゴ―ホーだった」という人々がいる。
言葉も文化も違う、他のミンゾクによる支配を、
喜んで受け入れるミンゾクって、いるのだろうか ?
トラさんにシッポを振る人たちは、そうかもしれないが、
ふつうは違うだろう。
チョーヨー○ーのことにしても、イアン○のことにしても。
このクニのセーフにも、マスコミにも、あきれてしまう。
クニとクニがどんなゴーイをしようが、
ヒガイシャが、
カガイシャに対してシャザイを求めるケンリはあると思うのだが。
自分の過去はすべて正しかったという人は、いるのだろうか。
間違いだらけで、迷ってばかりいる自分には、信じられない。
足を踏んでいる人間は、踏まれている人間の痛みはわからない。
本当にそう思う。
自分も、これまで、どれだけの人を傷つけてきたことだろう。
残りの人生、少しでも功徳をつんでいきたい。
8月15日に、考えたことでした。