人生百年 有為自然

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有為自然 808  あれから50年  不思議な縁

  あれから50年  不思議な縁

 

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                                                       * 1月11日は、「4分の3ポッキーの日」?

ほんとうに不思議な縁で結ばれています。

これまでに7回、行きました。

天候による偶然(別な島に行く予定が、台風の余波で着陸・接岸できず)

仕事、そして行。

 

青い空、青い海。

首里城をとりまくユニークな石の城壁が大好きです。

沖縄各地に散らばるグスク(城)をいくつも見て回りました。

もちろん、沖縄そばも大好物です。

ミミガー、チュラガーも。

何だかわかりますか ?

 

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初めて「平和の礎」を訪れたとき、

出身県の石碑のところで、アイウエオ順に名前を追っていきました。

10代で少年兵に志願し、沖縄戦で戦死した叔父の名前を探すためです。

見当たりませんでした。

従兄が役所に問い合せ、奔走します。

その結果、次に訪れた時には叔父の名前が刻まれていました。

父が生きているうちに、オキナワに連れて行きたかった。

志願兵について弟から相談されたとき、

とめなかったことが父の心に深く残っていたからです。

 

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退職後、高校時代の同級生(オキナワ在住・就職)と東京で会いました。

約40年ぶりの再会です。

オキナワが彼の先祖の地だと、高校時代に知ってたかどうか。

 

高校に入るまで、

オキナワが米軍の完全支配下にあることを全く知りませんでした。

教えてくれなかった教師たち・大人たちに無性に腹が立ちました。

教師や大人たちは、オキナワを見殺しにしてきたのだ、と。

社会的な問題に目覚めるきっかけの一つです。

 

オキナワが本土復帰して、今年は「50年目」

あれから半世紀もたったのです。

それなのに、今の状態は ?

ニホンのベーグン基地の7割以上

国土の0.6%に過ぎないオキナワに押しつけられています。

本土の人間は、それを放置したままです。

 

そして今回、オミクロン株の感染大爆発。

アメリカから米兵たちが運んできたのです。

基地内でクラスターが発生しているのに、米兵は基地外を自由に出歩く。

ニホンセーフは、感染爆発の原因がベーグンにあることすら認めない。

米兵の外出禁止すら、求めない。

地位協定の改定も言わない。

自国民を守ることができないセーフ。

   この記事を発表した後、やっと「外出制限」のニュースが … 。

オキナワのことがニュースになるたびに、腹がたちます。

これは「オキハラ」ではないか、と。

オキナワハラスメント。

オキナワ差別。

オキナワイジメ。

オキナワへの無関心。

オキナワに対してはどんなひどいことをしても許される。

 

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同級生が、いっしょに飲んだときに言っていました。

「俺たちは絶対に負けない。

なぜなら、勝つまであきらめないから」と。

この言葉を初めて聞いた時、衝撃を受けました。

彼も、アラセブ。

今も彼はたたかいつづけています。

 

私たちにできることは、

オキナワに関する正しい知識をつかみ、

オキナワの歴史を学び、

周囲の人にオキナワのことを伝え続けること。

そして、オキナワ県民の声をしっかり受け止めるギインを、

一人でも多くコッカイにおくりこむことでしょう。

これだったら、私たちにもできます。

 

皆さんは、どう思われますか。

もちろん、心の中でのつぶやきでも、

非公開のコメントでも結構です。