1円のカネにもならないのに … なぜ ?
* 昨日の記事の題は、誤解を与えかねないものでしたので、
題を変更しました。
わが先祖は、父方も母方も農家である。
両家とも、それぞれ男子一人が農業を継いだ。
残りは皆、農業以外の仕事を探さなければならない。
日本有数の貧乏県。
大きな儲けを生み出す産業がない。
そのため、わが一族ではなく、二族は圧倒的にコームインが多い。
もちろん下級コームインである。
看護師、営林署員、農業改良普及員、 … 。
二族で、従兄弟従姉妹は約30名だが、コームインが一番多いか。
商売人は、ほとんどいない。
「儲ける」こととは、無縁の世界。
ただただ、市民のために尽くす。
そういうわけで、
自分は「儲け」を追い求める生き方に、触れることなく育った。
さらに成長の過程で、儒教・仏教・キリスト教などの影響を受ける。
マタイによる福音書の、
「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、
思い悩むな、である。
映画『ブラザーサン、シスタームーン』も好きだった。
その結果、土日の無償労働、
家に持ち帰っての仕事、
早朝出勤、
夜遅くまでの残業。
毎日、そんな日々だったが、イヤにならなかった。
民間企業で働いていた、同居のギフが、
「カネにもならないのに、なぜ ?」と不思議がっていた。
仕事がうまくいかないときは、自分の「非力」に悔しい思いをした。
もっと力があれば、と思うのである。
腹が立ったのは、上からの「クソどうでもいい仕事の押しつけ」だった。
儲けとは無縁の生き方。
退職してからも、
地域の花植え・草刈り・樹木の剪定ボランティア、さらに自治会づくり。
一円のカネにもならない。
相変わらず、儲けとは縁のない世界を生きるジジイである。
死にいたる病か。