ウソも百回言えば 信じる … !?
私は職業柄、
いろんなシソ―・シューキョ―の人たちとつきあってきました。
今でも、ミギからヒダリまで。
また神や仏を信じる人、信じない人など、さまざまな人たちとつきあっています。
つきあっている人たちは、みないい人ばかりです。
今日は、友人たちが被っている「えん罪」について、
微力ながら勇気をもって記事にします。
テレビを見ていて、あのコメントには驚きました。
堂々と、ああいうことを言えるのですね。
抗議されたら最初、謝ったかのようなフリをして、
実際には全く非を認めていませんでした。
ボーリョクカクメー(以下、「ボー」と略す)ですって ?
これまで、「ボー」すると言われた人たちともつきあってきました。
親しい友人や元同僚もいます。
私の世代は、ガクセーウンドーが下火になったとはいえ、
ガクセーの時は、まだ燻りが残っていた時代。
いろんなセクト(若い人は、知らないか … )がありました。
本当に危ない集団もいたんです。
しかし友人たちに関して、今どき「ボー」なんてありえない。
コーリョーにも書いてないし、実際の行動でも全くそんなことはない。
「ボー」と言えば、人びとの恐怖心を引きだし、ダメージを与えられる。
ヤトーのキョートーを分断できる。
そう思っているのでしょうか。
あの人、元裁判官でしょう。
「書いてないことを、書いてある」と言い、
当事者に聞くこともせず、
間違いを指摘されても認めず、「別な風」に言い換える。
こういう人が、「えん罪判決」を下すのだろうな。
そう思うとぞっとしました。
判決を下す前に、証拠も調べずに、
最初から「ボーするヤツだ」と決めつけているのです。
さらにセーフ関係者が、堂々と同じようなことを言っていますね。
だったら、証拠を示せばいい。
かつて国会で、証拠を示すことができなかった!! のに。
「ボー」というなら、
少なくともブキダンヤク、私的グンタイ、グンジクンレンが必要でしょう。
見たことも、聞いたこともありません。
「ボー」うんぬんという人たちは、
「ウソも百回言えば、人は信じる」と思っているのでしょうか。
こわいことです。
ここまで書いていたら、
弁護士コメンテーターが「再謝罪」したというニュースが流れました。
ただし、被害当事者の名をあげてではなく、
「関係者におわびする」と言っていました。
関係者とは、テレビ局やスポンサー、番組司会者などのこと ?
そういえば、ナチスは、
「コッカイ放火事件の犯人は、○○主義者だ」といって、
弾圧の口実にしました。
わがクニの元シュショ―も、
「ナチスの手口をまねたらどうか」と言いました。
コメンテーター発言に便乗したセーフ関係者の発言も、
「ナチスの手口」の一つ ?
キリスト教の牧師、マルチン・ニーメラーの詩を思い出します。
(訳の一部を、カタカナ変換してあります)
ナチがキョウサンシュギシャを襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分はキョウサンシュギシャでなかったので何もしなかった。
それからナチはシャカイシュギシャを攻撃した。
自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然としてシャカイシュギシャではなかった。
そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。
そうして自分はまさに教会の人間であった。
そこで自分は何事かをした。
しかしそのときにはすでに手遅れであった。
「沈黙したらマズイ」と思って、記事にしました。
「えん罪」にあっている友人たちのことを思い出し、
また今の社会の怖さを感じたからです。
みなさん、どうお思いになりますか。
あぶないテーマなので、心の中でのコメントで結構です。
もちろんヒコーカイのコメントも可。
臆病者のジジイですが、今回は勇気を出しました。
長くなってしまいました。