「みなさん お元気ですか」CM 覚えていますか ?
昭和から平成に代わろうとする時のことを覚えていますか。
若い人は、知らないか。
その時期、
「みなさん、お元気ですか」というCMの、
台詞だけがテレビから消えました。
文化祭の前夜祭が、自粛で中止になった高校もありました。
小学校の運動会のカケッコで、
ピストルの音のかわりに、「よーい、どん」の掛け声。
万国旗がダメという学校もありました。
当日は、朝からテレビ各局が同じ内容に。
CMもなくなります。
教育テレビを見る人が増えました。
レンタルビデオ店にビデオを借りに行く人たちが続出。
その結果、レンタル店の棚はガラガラに。
今年、9月末の「コクソー」の日。
今度も一日中、同じ内容のテレビ ?
「偉大なシュショ―」だったという賛美の画像。
「コクソー」に参列する人々。
涙を流す人がアップされる。
献花台、記帳。
(メディアの人たちは、自分のやっていることを何とも思わないのかなぁ。)
全国の小中高大は休校 ?
それとも全校集会を開き、「偉大なシュショ―だった」という講話。
すべての役所が、半旗 ?
批判する人たちに対しては、「ヒコクミン」であるかのような攻撃。
じっと沈黙を守る人々。
声をあげる人々を、批判的に報道するメディア。
昨年のゴリンの時も、そうでした。
「ゴリン反対」を口に出せない雰囲気に、だんだん変わっていきました。
メディアは、そろってゴリン応援。
ここは、全体主義のクニ ?
「コクソー」に対するモヤモヤ感。
表現できないもどかしさ。
さっとブログに書けない不甲斐なさ。
でも、わかりました。
こういうことなのだと。
それは「心の自由」「内心の自由」「政教分離」ということです。
コッカは、一人一人の人間の「心」を縛る、操る、煽ってはならない。
特定の「心情」「感情」「評価」を強制してはいけないということでしょう。
人の死を悲しむこと、その人を追悼することは自由です。
追悼したい人たち、彼は偉大だったと思う人たちが集まり、
追悼すればいいのです。
全コクミンを巻き込む必要はありません。
彼に対しては、人それぞれ違う評価・感情をもっているのですから。
コッカが一つの評価・感情を押しつけてはいけません。
「コクソー」ということになれば、それに向かう期間、
またその当日、死者を追悼する姿勢を示さない者、批判的な者は、
まさに「ヒコクミン」になってしまうのです。
元シュショ―の「過去の罪状」は消され、
「偉大な歴史的人物」に祭り上げられます。
これは、「歴史の改ざん、書き換え」ではありませんか。
そして「遺志をつぐ」というかたちで、「カイケン」「大グンカク」の大合唱。
「一大政治ショー」になります。
憲法で保障された、
ひとりひとりの「内心の自由」を守ること、
コッカはひとりひとりの人間に特定の評価・感情を押しつけてはいけない。
心の底から、そう思います。
以上のような考え方は、どうでしょう。
ささやかなドクハクでした。
* ネット署名のことを、ブロ友さんから教えてもらいました。
7月22日現在、6万人を越えたそうです。