人生百年 有為自然

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有為自然 901  「みなさん お元気ですか」CM 覚えていますか ?

 「みなさん お元気ですか」CM 覚えていますか ?

 

 

昭和から平成に代わろうとする時のことを覚えていますか。

若い人は、知らないか。

 

その時期、

「みなさん、お元気ですか」というCMの、

台詞だけがテレビから消えました。

 

文化祭の前夜祭が、自粛で中止になった高校もありました。

小学校の運動会のカケッコで、

ピストルの音のかわりに、「よーい、どん」の掛け声。

万国旗がダメという学校もありました。

 

当日は、朝からテレビ各局が同じ内容に。

CMもなくなります。

教育テレビを見る人が増えました。

レンタルビデオ店にビデオを借りに行く人たちが続出。

その結果、レンタル店の棚はガラガラに。

 

今年、9月末の「コクソー」の日。

今度も一日中、同じ内容のテレビ ?

「偉大なシュショ―」だったという賛美の画像。

「コクソー」に参列する人々。

涙を流す人がアップされる。

献花台、記帳。

  (メディアの人たちは、自分のやっていることを何とも思わないのかなぁ。)

 

全国の小中高大は休校 ?

それとも全校集会を開き、「偉大なシュショ―だった」という講話。

すべての役所が、半旗 ?

 

批判する人たちに対しては、「ヒコクミン」であるかのような攻撃。

じっと沈黙を守る人々。

声をあげる人々を、批判的に報道するメディア。

 

昨年のゴリンの時も、そうでした。

「ゴリン反対」を口に出せない雰囲気に、だんだん変わっていきました。

メディアは、そろってゴリン応援。

ここは、全体主義のクニ ?

 

「コクソー」に対するモヤモヤ感。

表現できないもどかしさ。

さっとブログに書けない不甲斐なさ。

 

 

でも、わかりました。

こういうことなのだと。

 

それは「心の自由」「内心の自由」「政教分離ということです。

 

コッカは、一人一人の人間の「心」を縛る、操る、煽ってはならない。

特定の「心情」「感情」「評価」を強制してはいけないということでしょう。

 

人の死を悲しむこと、その人を追悼することは自由です。

追悼したい人たち、彼は偉大だったと思う人たちが集まり、

追悼すればいいのです。

全コクミンを巻き込む必要はありません。

に対しては、人それぞれ違う評価・感情をもっているのですから。

コッカが一つの評価・感情を押しつけてはいけません。

 

 

「コクソー」ということになれば、それに向かう期間、

またその当日、死者を追悼する姿勢を示さない者、批判的な者は、

まさに「ヒコクミン」になってしまうのです。

 

元シュショ―の「過去の罪状」は消され、

「偉大な歴史的人物」に祭り上げられます。

これは、「歴史の改ざん、書き換え」ではありませんか。

 

そして「遺志をつぐ」というかたちで、「カイケン」「大グンカク」の大合唱。

「一大政治ショー」になります。

 

憲法で保障された、

ひとりひとりの内心の自由を守ること、

コッカはひとりひとりの人間に特定の評価・感情を押しつけてはいけない。

心の底から、そう思います。

 

以上のような考え方は、どうでしょう。

ささやかなドクハクでした。

 

* ネット署名のことを、ブロ友さんから教えてもらいました。

  https://chng.it/6MLbjYVNTm

  7月22日現在、6万人を越えたそうです。