救急車の中で 意識が薄れていく
その時 発した言葉は … 221101
アイカタが命を取り留めました。
ラインのテレビ電話(ビデオ通話)を通して話すことができるようになったので、
この記事を書いています。
この間のことを何回かに分けて報告します。
高齢者フーフにとっては、いつでも誰にでも起きうることだからです。
今の状態を現在進行形で綴っていくことにしました。
3年ぶりに母に会うために私は帰省していました。
私の不在中にアイカタは、重いシャッターを開けるときにギックリ腰。
それをきっかけに、諸症状に苦しんでいたアイカタ。
夕方、「眠い」と言うので、身体を支えて2階の寝室に連れていこうとします。
階段の途中で、アイカタがくずれてしまいました。
腰痛持ちで、腕力も弱い私の力では、
上に上げることも、下に降ろすこともできなくなってしまったのです。
アイカタは必死に起き上がろうとします。
「救急車は呼ばないで。救急車は呼ばないで」と繰り返し言い続けます。
そのうち、ぐったりして身体が重くなってきました。
目もかッと開き … 。
慌てて、119番に電話します。
アイカタの背中を軽くたたきながら、声をかけ続けました。
接近中の救急隊の方ともずっと、ケータイで連絡を取り続けます。
救急車が到着するや、隊員がアイカタをかかえ降ろして担架に乗せました。
救急車が走り出す中、アイカタは意識が薄れていきます。
弱々しい声で、「○○○ … ○○○ … ○○○○○○○ … 」
と、三回言いました。
耳を疑いましたが、ハッとします。
それは二人が出会った若い頃、
私のことを呼んでいた、はるか昔の呼び方だったのです。
何十年も前の、呼び名。
その呼び方は、今のわが家ではもうしていません。
「ぼくは、ここにいるよ。 ここにいるよ。 ぼくはここにいるよ」
と私も必死に言い続けます。
そのうち、アイカタは何も言わなくなりました。
そして救命救急センターに到着します。
救急措置後の医師からの説明は、
「ヘモグロビンの量が通常の4分の1になっており、
いつ心臓が止まってもおかしくない状態でした。
現在、輸血中です」と。
救急車の中での、アイカタの声は今でも耳についています。
頭の中に、何度も何度も浮かんできます。
もし、あのまま命を落としていたら … 。
アイカタの最期の言葉になっていたでしょう。
これまで、私が周囲に言っていたのは、
「病弱なアイカタを看取ってから死ぬ」でした。
ギソボ・ギボ・ギフ・ギオバの4人の世話をし、看取って来たからです。
しかし、「アイカタを看取ってから」というセリフがいかに軽い言葉だったか。
心底、痛感しました。
次回は、「長い 長い時間 一人で待合室に」の予定です。
今回の「救命から再生へ」の記事は、
連日の投稿になるかもしれませんし、不規則になるかもしれません。
なお、皆さまのブログへの訪問・コメントも、乱れるかもしれません。
ご容赦ください。
前回・前々回・前々々回の記事は、早めに書いておいた「予約投稿」です。