人生百年 有為自然

人生百年。地域づくり、日々の生活、思いなどを中心にしたブログです。

有為自然 80   通勤途上 ラジオから 「五千万円ためなさい」

 

  通勤途上 ラジオから 「五千万円ためなさい」

 

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十数年前、通勤の途上、車のラジオから流れてきたのは、

ある女性放送作家の主張です。

 

「老後のために、五千万円は貯めておきなさい。

子どものためでなく、自分たちのために」と。

 

今考えれば、五千万円というのは給料生活者ではなく、

自営業の方たちのことだったのかなとも思います。

ですから今回の二千万円の話、驚きません。

 

病気の家族を3人かかえていたので、万一の場合に備えて生命保険

住宅ローンの完済後は、ほぼ同額をそのまま個人年金の積み立てに回しました。

 

報告書の受け取り拒否のニュース。

賛成だろうがなかろうが、議論のたたき台にすればよいのに。

でも国民全体に、真剣に考える機会を与えたのですから、効果抜群だったと思います。

 

昨日、紹介した「せやろがい おじさん」のセリフが気になりました。

そこで、テープ起こしをしてみました。

(急いだので、ミスがあるかもしれません)

テレビなどでは、なかなか言えないこと ?!

 

動画の方が面白いことは、言うまでもありません。

 

   せやろがい おじさん (テープ起こし)

 

いきなりやけど 政府のお偉いさんが

「年金の給付水準を 維持するのはむずかしいから 自分らでも蓄え」 と言い始めた

「せ~の」で 思うたこと 叫んでみよか

せ~の 年金払う意味あるけ~って話やろ

その蓄えとして年金払ってるんですけど

 

誰やったか 「年金額減るって ありえません」 って言うてたけど あり得たやん

100年安心の年金制度」って 豪語しといて 急に「人生百年時代の蓄えを~!」 

って 自助努力 呼びかけられても ビックリするわ!

さらに「年金給付する年齢も 引き上げるかも~」 的な話あるけど

怖い 怖い 怖~い

スゴイ こんな長文 一言一句 一緒やったな

 

ほんで 「蓄えつくりや~」って 簡単に言うけど それがでけへんから 不安やねん

日本のサラリーマンの 平均賃金は ここ20年で 下がり続けてるのに

「定年したあと 30年生きるなら 二、三千万円ぐらいの蓄え 必要やで ☆」

って言われても 無茶ぶりすぎるやろ !

 

アレ! 何か「税金上げるで~」 とか何とか 言うてなかった !?

「蓄えつくりや~ 税金上げるけど~」 っていうのは

「太らなアカンで 飯減らすけど」 言うてるようなモンや

自然の摂理に反する

 

確かに 平均寿命が伸びて 少子化 非正規雇用が 拡大するなか

年金制度は 厳しくなってくると思う

でも これ以上 国民に負担を強いるのは 勘弁して つかぁさい !

 

アメリカから 高価な戦闘機を 6兆円かけて 100機以上 爆買いしまくるより

出産一時金とか 出産手当金を ガーンと増やしたり

保育士不足による 待機児童問題 解決するために 保育士の待遇改善したり

少子化対策に 思い切った金額 つぎ込んだ方が 

まだ 明るい未来 見えると思う

 

もちろん 国を守るのは めちゃめちゃ大事や

でも もう内側から 壊れかかっとんねん

めちゃくちゃ高価な 最強の鎧(よろい)で ガッチガチに 身を固めた

風邪ひいてる人みたいに なってんねん

そんなカネあるんやったら 先に病院いって 治療しいって なりません!?

 

あとやっぱ 大企業に有利な 税制敷いといて

国民はしんどい思いしているの ちゃうやろ !

正規雇用が 増えたんも 企業様の為に 派遣法を改正したから ちゃうんか !?

 

強いところの ご機嫌ばっかりとった結果

強いところは より豊かに 弱いところは より貧しくなり

表向きでは 日本は 世界第3位の 経済大国でありながら

裏では 貧困率 先進国ワースト

この表と裏の 貧富の差 ! なんやこの びんぼっちゃま国家

 

お陰様で 企業さんの 内部留保 ものスゴい あるみたいやし

国民に「蓄え!」 言うなら 企業に「払え!」も 同時に 言うて!

 

え? 自己責任?

確かに 俺みたいな 芸人とかやって フラフラしてる奴は

自己責任と 言われても 仕方ないかもしれん

けど 毎日 朝から晩まで 頑張って 働いてる人達まで

老後の不安 抱えながら 生活するのは おかしいんと ちゃうか~

せやろがい

 

* 庭の火鉢のなかのヒメダカは、元気です。

  餌をやりに行くと、すぐ出てくるようになりました。

 

有為自然 79   「せやろがい おじさん」を 知っていますか ?

 

 「せやろがい おじさん」を 知っていますか ?

 

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「老後の資金 2000万円」を積み立てるって話。

たまには、世の中のことも書こうと思って、綴ってみました。

読み直してみて、自分の文章が全くつまらないんです。

やめました。

 

そうしたら、ネットの「せやろがいおじさん」で、

この問題を扱っているのを知りました。

赤いTシャツふんどし姿

「せやろがいおじさん」が奇妙な格好で、叫んでいます。

『老後は国民に丸投げ?!』

 

昨年、新聞で「せやろがいおじさん」を知り、パソコンを開いて動画を見ました。

沖縄在住のお笑い芸人さんが時事ネタを扱っているのです。

 

動画をブログに、まだ貼り付けられません。

ごめんなさい。

まだの方は、一度、動画をご覧になってみてください。

3分20数秒。

おもしろいと思います。

好き嫌い、あるかもしれませんが。

 

「100年安心の年金制度って豪語していて、急に人生百年時代の蓄えを~! って

自助努力呼びかけられてもビックリするわ!」

 

「その蓄えとして年金払ってるんですけど」

 

「なんか税金上げるで~とか言ってなかった!?」

「『蓄えつくりや、税金上げるけど』っていうのは

『太らなアカンで、飯減らすけど』言うてるようなモンや、自然の摂理に反する」

 

有為自然 78    役所の職員に 知り合いがいますか

  役所の職員に 知り合いがいますか

 

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先日、市役所に行ってきました。

道路課に、刈った草の回収袋もらいに行くためです。

また、先日のボランティアの作業後の

懇親会で出た「声」を市役所に届けるためです。

 

道路課の〇〇さんとの会話。

ツバキチャドクガが発生しているんですけど」

「殺虫剤は使えないので、バーナーで焼きます」

 

生垣の枝が道路に張り出している家があります。

川崎では、事件の前に怒鳴り込まれた人もいたので心配です」

「道路課から、伐採をお願いしてみます。

やってもらえるかどうかは、なかなかむずかしい問題です」

「なぜですか」

「すぐやっていただける方と、なかなか応じてもらえない方がいらっしゃいます。

なかには『あの家はどうなんだ』と逆に食ってかかる方もいます」

 

また、公園課の◇◇さんにも、お願いに行きました。

「団地周辺に、枯れた桜の木が立ったままです。どうにかなりませんか」

「公園課でも調査済みです。この地図を見てください。

公園課では、歩道に倒れてくる危険性があるものだけを伐採しています。

道路わきのウルシの木は、今年中に切る予定です」

 

空き家の樹木が伸び放題である件については、

安全課が担当していると教えてもらいました。

 

ボランティアを始めてから、市役所にも知り合いができました。

交通課3人、公園課2人、安全課2人。

市役所に行くと「お久しぶりです」と声がかかり、

手を上げて合図を送り合う仲になったのです。

村や町の役場って、もともとはこんなものだったんだろうと思います。

 

公務員は、何かというと目のかたきにされます。

しかし、本来は市民と役所の職員が協力し合って、

地域づくり・町づくりを進めていくものではないでしょうか。

 

* オクラの苗が小さいまま、いっこうに大きくなりません。

  今年も失敗かと不安ですが、最後まで見届けようと思っています。

  激しい雨で、2本、折れてしまいました。

有為自然 77    たけしの『少年』は 身につまされます

  たけしの『少年』は 身につまされます

 

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運動会が嫌いな子は、世の中にどれぐらいいるのでしょうか。

私は、イヤでイヤで仕方がありませんでした。

カケッコが終わると、それまでの緊張感からようやく解放されます。

 

今話題のビートたけし、いや北野武

彼の作品『少年』新潮文庫 2002年)

「ドテラのチャンピオン」に出てくる、マモルの兄・真一のこと、

よく理解できます。

 

なにしろ子どものころからどんなスポーツも大嫌いで、

駆けっこでも何でもクラスのドンジリだった。

通信簿で他の科目は「五」がズラッとならんでいたのに体育だけは、「二」だった。

本当は「一」なのだが、先生のお情けで「二」にしてもらっている、

というのがオフクロの口ぐせだった。

 

オクメババアの店で兄も

「食べれば必ず運動会に勝つっていう有難いチョコレート」を買っていた。

 

運動会の途中で激しい雨が降ってきた時、

中止になるのではとニヤニヤしている真一。

 

先を走る五人が転倒したとき、

「形相を激しく変え」「別人の顔つき」になった真一。

しかし、結末が、悲しい。

 

「チョコレート」ではありませんが、運動会の前の晩に、

干したマムシの骨粉を飲んだことがあります。

もちろん運動会では、マムシの効果は全くありませんでした(笑)。

   マムシは、それ以前に父が夜、

   ウナギ捕りにいったときに鉾で突いて持ち返ったものです。

   朝日にあたりながら、鉾の先でくねっている骨だけの姿を見ました。

   その骨を火鉢の隅に立てて、乾燥したのです。

 

私の体育の成績も「2」ではなく、本当は「1」だったと思っています。

 

とにかく運動会がイヤでイヤでしようがない子どもでした。

それは高校まで続きます。

高校での話は、また別の機会に。

有為自然 76    小学校時代には 戻りたくない

  小学校時代には 戻りたくない

 

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母が認知症を発症して以来、

自分自身の過去をできるだけメモしておかなければと思うようになりました。

母に一番似た性格なので、自分も発症するかもしれません。

記録をつくることで、脳を少しでも活性化させようというのがねらいです。

 

「もし、人生をやりなおせるとしたら、どの時期に戻りたいですか?」

と質問されたら、みなさんは何と答えますか。

私は、小学校時代は絶対いやです。

中学1・2年のときも。

 

足が遅いので、運動会のカケッコはいつもビリでした。

自分の後に人がいたのは、たった2回だけだったと記憶しています。

 

とにかく運動神経がにぶかったのです。

近所の子どもたちの草野球に、私が加わるとダメになります。

だから、試合の途中でやめて、一人家に帰りました。

 

学校に行くと、午前中は過敏性腸症候群で悩まされる日々です。

病気がちでした。

 

子ども時代、楽しかったという思い出がほとんどないのです。

笑顔、笑い、ひょうきん、そんなものはありません。

親しい友だちもいませんでした。

いつも暗い顔をしているわけですから、女の子とも仲良くなれるわけがありません。

 

極度の運動コンプレックスは、

「見返してやる」という気持ちばかりを強くしていきます。

家にこもって、本を読んだり、勉強したり。

そのため学校の成績はよい方でした。

すると、ますますクラスの中で遊離した存在になっていきました。

 

今でも、子どもたちが遊んでいる姿を見たとき、

背筋に寒いものを感じることがあります。

もし自分が子どもに戻って、この場にいたら、

いったいどの位置にいるんだろうと想像してしまうからです。

 

子どもをほしいと思わなかったのも、少年期の体験からきているのかもしれません。

 

弱さ、みじめさ、情けなさを、いっぱい体験しました。

コンプレックスのかたまりでした。

 

おかげで、とんでもなく傲慢な人間にならずにすみました。

だから弱い立場の人に共感できるのだと思っています。

そう思うと、「まあいいか」という気にもなってしまいます。

 

だとしても小学校時代には戻りたくありません。

 

* 道路わきの花壇に、ピンクのゼフィランサスがいっせいに咲きました。

  昨年、植えっぱなしにしたものです。

有為自然 75   県都への峠道 無人のサービスエリアで    母とジュースを飲む

 

   県都への峠道 無人のサービスエリアで

  母とジュースを飲む

 

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認知症を発症したあとの母と過ごした1週間は、静かで落ち着いたものでした。

最後の日に「これから病院に行こうね」といって、車に乗せます。

県都にある病院に、検査入院するためです。

 

地方の有料道路は、すいています。

途中、無人サービスエリアがありました。

トイレ休憩のために止まります。

自販機でジュースを買って、二人で飲みました。

緑の山々を見ながら、

母がもう二度と実家に帰ることはないだろうと思うと、涙が溢れそうになります。

母に気づかれないように涙をこらえました。

 

そして、身内の準備した病院へ。

母は入院の後、施設に入所し、現在にいたっています。

 

無理なことだと解っていましたが、認知症を発症する前に、

「ぼくたちのところに来ない」と話したことがありました。

何度か言いましたが、そのたびに「それはできない」と断られます。

無理からぬことです。

今はすべて、身内が面倒を見てくれています。

これまで関わったことのある施設の中では、最も素晴らしいところです。

入ることができたことに、ほんとうに感謝しています。

 

しかし、モノを送れません。

電話をするのもダメです。

年に1~2回、帰郷し施設を訪ねるだけになりました。

 

まだ私のことを覚えています。

行くと、満面の笑みです。

いつまで記憶が残っていてくれるか。

2~3秒前に話したことも、もはや記憶していません。

母がくりかえし口にするのは、「お父さんは、どうしているの?」です。

父は酒乱で、夫婦喧嘩がたえなかったのに … 。

 

今年は、秋に帰ろうと思っています。

 

* 庭のミニトマトに青い実がつきました。

有為自然 74   入院までの1週間 母と二人で過ごしました

 入院までの1週間 母と二人で過ごしました

 

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母は徘徊した日、身内の家に泊まります。

そこで粗相してしまいました。

 

空港から母を迎えに行き、実家に連れ帰ります。

母が入院するまでの1週間、二人で過ごすことになりました。

 

しばらく家に帰ることはできないと判断し、冷蔵庫のなかを空にします。

いろんなものが腐っています。

台所の生ものゴミは、庭の畑に穴を掘って埋めました。

空き瓶、ペットボトルなどを洗って、地域の回収場所に持っていきます。

 

すっかりきれいにしたあと、ゴキブリ団子を各所に置きます。

夜中、トイレに行くたびに、台所の流しにゴキブリが出ているのを見かけました。

1週間で、数十匹のゴキブリを処理しました。

少なくとも、その十倍は潜んでいると思うと、すごいものがあります。

 

片づけている間じゅう、母は静かにテレビを見ていました。

私がいるだけで、ホッとしたのでしょう。

 

朝昼夜の三食、つくってあげます。

独身生活が長く、自炊に慣れていたとはいえ、

三度三度の食事を二人分つくったのは初めてです。

献立を考えるのがこんなに大変なものかと思いました。

「〇〇は、料理が上手だねぇ」と母が褒めてくれます。

 

布団を並べて寝ました。

夜中に自分がトイレにたつとき、

「母さん、おしっこは大丈夫。念のため、トイレに行く?」と声をかけます。

すると、母もトイレに行きました。

一度も、粗相はありませんでした。

 

子どものように穏やかで、おとなしくしていました。

本当に安心しきったのだと思います。

 

母は入院したあと、施設に入所します。

身内がすべてやってくれました。

冬に帰省し、施設を訪問します。

私と過ごした1週間の記憶は、全くありませんでした。

 

次回、その後のことを簡単に触れます。

 

* ニチニチソウの種子も、初めて見ました。