人生百年 有為自然

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有為自然 137    「俺はあん畜生を 一生許さねえぜ … 」

   「俺はあん畜生を 一生許さねえぜ … 」

 

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『ヨーコさんのことば ふっふっふ』佐野洋子・文)のつづきです。

 

小学校六年生の時の男の教師は よく男の子をなぐり倒していた。

廊下でとっ組み合って

教師と男の子がゴロゴロ ころがっていたこともあった。

 

大人になってから 同窓会があった。

三十男と還暦を迎えた教師が 向かい合って酒を飲んでいた。

「廊下で頭をこづかれて、 あんときは痛かったぜ」

教師も男も笑い 私たちも笑った。

なぐり倒しも どれほどのことも なかったのか。

いつかは 笑い話になるのか。

 

しばらくして私の前に 別の男が来て言った。

「俺はあん畜生を一生許さねえぜ。 何かっていえば なぐりやがって」

彼が特別教師に 目のかたきにされていたとは 思っていなかった。

みんな似たりよったりだと 思っていた。

 

彼は成功して 工務店の社長になっていた。

「俺はあん畜生になぐられたから、 うちの若いもんに絶対手を出したことはねえ。

かならず言い分を聞く。 どんな奴にも言い分はあるんだ。

暴力って奴は いいことは何もねえ」

 

同じ行為が受け手によって まったく違う意味を持つのだ。

こだわり続けることで 自分を創る人もいれば、 流すことで 生き続ける人もいる。

 

私たちは教師によって 育てられたのではない。

自分で生きてきたのだ。

それぞれの力で。

それぞれの魂も持って。

 

読んでいて、高校時代の数学の教師を思い出しました。

彼がぶつけてきた「言葉」を、私は「流」さず「こだわり続け」たのです。

「許さねえ。 見返してやる!!」と。

 

人それぞれですね。

数学の教師は「きっかけ」をつくってくれました。

「生きてきた」のは、たしかに「自分」です。

 

* 庭のブルーベリーの実が、全滅

  完熟なので摘み取らなければと、手の甲に「ブルーベリー」と書いて寝ました。

  朝、行って見ると、あとかたもない。

  すべて鳥に食べられたのです。

  来年は、もっときちんとした「防鳥網」をかけます。