シーンと 静まり返ってしまった … 240823
自分が話している間、そして話し終わったあと、
静まり返ってしまった。
地域の老人会でのことである。
「戦前・戦中・戦後の体験」を語りあう会。
全員、自分より年上。
以下は、参加者の方々が語られたことの一部。
疎開先でいじめられた。
敗戦後、米兵からチョコをもらって帰った。
元軍人の父親から思い切りぶん殴られた。 (90歳近い男性)
勤労動員で、広島の爆心地近くにいた。
原爆投下。
そのとき、コンクリートの建物の中だった。
気絶してしまった。
数時間後、気がついた時には誰もいなかった。
何が起きたのかわからなかった。
外に出ると、何もかもペシャンコになっていた。
人びとが倒れていた。
あの惨状は、体験したものでないとわからない。
戦争は絶対にしてはいけない。 (今年100歳の女性)
( いきなり「軍歌」の冒頭部分を、2~3曲 )
空襲後、防空壕の中から出てきた蒸し焼きになった死体を見た。
今の若い人たちは、恵まれている。 (90歳近い男性)
敗戦直後、妹と二人で食料の買出し。
ガード下に浮浪者がいっぱいいて、怖かった。 (80代女性)
そんな高齢者のみなさんのなかで、自分は戦争体験のない最年少者。
それなのに発言してしまった。
「私はこの集まりの中で、最も若い人間です。
戦後生まれです。
親から戦争の話を直接聞いた、
最後の世代になると思います」と話し始めた。
父は今の「大学」を繰り上げ卒業して入隊。
○○師団の師団司令部に配属。
身体の弱い兵隊が、軍隊のしごきで死んだ。
たたかっている相手に殺されたのではない。
「お前は身体が弱いから、
軍隊に入ったら、戦地に行く前に死ぬだろう」と私は言われた。
空襲後の片付け中に、
美人で評判だった娘さんの焼死体を掘り出した。
社会的な運動とは無縁だった父。
しかし戦争反対の気持ちを、父から強く刷り込まれた。
私の話を聞いておられた年配の方々がシーンとなってしまった。
被爆者の以外の方は、当時まだ「子ども」だったのである。
会が終わって帰るとき、80代半ばの男性から声をかけられた。
「今日の話、とてもよかったよ」と。
時間があれば、次のことも触れたかった。
少年兵に志願した父の弟が沖縄戦で亡くなった。
父は、弟から相談されて同意してしまったことを悔いていた。
「平和の礎」に戦死した叔父の名前がないことを私が話した。
すると従弟があちこち動いて、今は叔父の名が刻まれている。
集まった人たちから、軍隊の話は出てこなかった。
まして日本が行った加害のことなどは、なおさらのことである。