人生百年 有為自然

人生百年。地域づくり、日々の生活、思いなどを中心にしたブログです。

有為自然 537   この時期 いつも思いだすこと  (94)

  この時期 いつも思いだすこと  (94)

 

f:id:uwisizen:20200917082431p:plain

 

Kセンセーが、

シンセツコーのときのことを語り始めました。

 

いつのころよりか、大学受験を意識して、

文化祭の時期が早まるようになった。

お祭り騒ぎはさっさと済ませて、

3年生を、受験勉強に専念させようというわけだ。

そして、9月に入って間もなくの時期に、文化祭を開催するようになった。

 

ところで自分は、ジョシセートにモテるタイプではなかった。

キャーキャー騒がれたことはない。

しかし、「隠れ Kシタン」とか

「Kテー会」(Kセンセーのテーソーを守る会)が存在したという話をあとで聞いた。

 

シンセツコーの時に、めずらしいジョシセートがいた。

早目にジュギョーに行くと、いつも教卓のところに来て話しかける。

他のクラスにまでやってきて、平気で話す。

まるで、子犬のようだった。

本人は、まわりのセートのことを気にしない。

セートたちも、カノジョのふるまいを気にしていなかった。

 

そのジョシセートが、卒業した年の文化祭にやってきた。

自分は生徒会担当だったので、忙しく走り回っていた。

結局、ゆっくり話してあげることができなかったのである。

 

文化祭がすんで何日かしたあとに、

ガッコーに電話がかかってきた。

当時は、ケータイもスマホもない時代である。

 

「Kセンセー、今、新宿から電話かけてる。

今度、ガッコーに話しに行ってもいい ?」と言われた。

「いいよ。いつでも、おいで。楽しみにしているよ」と答えると、

「うれし~ !!」と電話の向こうから、はずんだ声が聞こえる。

 

それから1カ月後、

別のソツギョーセーから電話がかかってきた。

「センセー、○○ちゃんが亡くなった」と。

急いで、通夜にかけつけた。

自死かと思ったが、そうではないとのこと。

突然死

親子の関係が疎遠だったのだろうか。

娘が2階から降りてこないので、

母親が行ってみたら亡くなっていたのだそうだ。

ただし発見されたのは、

死後まる1日は過ぎていたらしいと、ソツギョーセーたちが話していた。

かねて、精神科の薬は服用していたとも聞いた。

 

f:id:uwisizen:20200917082503p:plain

 

翌日の告別式。

最後のお別れで、棺の中のカノジョの顔を見て、手を合わせた。

そのあと、「見るんじゃなかった」と思った。

完全に面変わりしていたのである。

 

祖父など老人の死に顔は何度も見ていたので、

お棺の中の顔を見るのは慣れていた。

しかし若い娘が、これほどまでに変わり果てていようとは。

ショックだった。

周りを気にせず、泣き崩れていた母親の姿も思いだす。

 

カノジョは、いったい何を話したかったのだろうか。

電話の声は、あんなに嬉しそうだったのに。

ただ、話すことを楽しみにしていただけかもしれない。

  (その前年に、私はケッコンしていた)

もし文化祭の当日、少しでも話す時間があったら … 。

こんな結果にならなかったかもしれない。

悔やまれるセートの一人だ。

 

死んだ子の年齢を数えると言うが、今、生きていたら50余歳。

存命なら、子どももいたかもしれない。

 

  * カテゴリーの題を、「Kセンセーのはなし」から

    「KSストーリー」に変えてみました。