この時期 いつも思いだすこと (94)
Kセンセーが、
シンセツコーのときのことを語り始めました。
いつのころよりか、大学受験を意識して、
文化祭の時期が早まるようになった。
お祭り騒ぎはさっさと済ませて、
3年生を、受験勉強に専念させようというわけだ。
そして、9月に入って間もなくの時期に、文化祭を開催するようになった。
ところで自分は、ジョシセートにモテるタイプではなかった。
キャーキャー騒がれたことはない。
しかし、「隠れ Kシタン」とか
「Kテー会」(Kセンセーのテーソーを守る会)が存在したという話をあとで聞いた。
シンセツコーの時に、めずらしいジョシセートがいた。
早目にジュギョーに行くと、いつも教卓のところに来て話しかける。
他のクラスにまでやってきて、平気で話す。
まるで、子犬のようだった。
本人は、まわりのセートのことを気にしない。
セートたちも、カノジョのふるまいを気にしていなかった。
そのジョシセートが、卒業した年の文化祭にやってきた。
自分は生徒会担当だったので、忙しく走り回っていた。
結局、ゆっくり話してあげることができなかったのである。
文化祭がすんで何日かしたあとに、
ガッコーに電話がかかってきた。
当時は、ケータイもスマホもない時代である。
「Kセンセー、今、新宿から電話かけてる。
今度、ガッコーに話しに行ってもいい ?」と言われた。
「いいよ。いつでも、おいで。楽しみにしているよ」と答えると、
「うれし~ !!」と電話の向こうから、はずんだ声が聞こえる。
それから1カ月後、
別のソツギョーセーから電話がかかってきた。
「センセー、○○ちゃんが亡くなった」と。
急いで、通夜にかけつけた。
自死かと思ったが、そうではないとのこと。
突然死。
親子の関係が疎遠だったのだろうか。
娘が2階から降りてこないので、
母親が行ってみたら亡くなっていたのだそうだ。
ただし発見されたのは、
死後まる1日は過ぎていたらしいと、ソツギョーセーたちが話していた。
かねて、精神科の薬は服用していたとも聞いた。
翌日の告別式。
最後のお別れで、棺の中のカノジョの顔を見て、手を合わせた。
そのあと、「見るんじゃなかった」と思った。
完全に面変わりしていたのである。
祖父など老人の死に顔は何度も見ていたので、
お棺の中の顔を見るのは慣れていた。
しかし若い娘が、これほどまでに変わり果てていようとは。
ショックだった。
周りを気にせず、泣き崩れていた母親の姿も思いだす。
カノジョは、いったい何を話したかったのだろうか。
電話の声は、あんなに嬉しそうだったのに。
ただ、話すことを楽しみにしていただけかもしれない。
(その前年に、私はケッコンしていた)
もし文化祭の当日、少しでも話す時間があったら … 。
こんな結果にならなかったかもしれない。
悔やまれるセートの一人だ。
死んだ子の年齢を数えると言うが、今、生きていたら50余歳。
存命なら、子どももいたかもしれない。
* カテゴリーの題を、「Kセンセーのはなし」から
「KSストーリー」に変えてみました。