わが生き方の原点は ? 高校時代にあった
自分の「ドクをはく」生き方や、
何でもすぐ行動に移す「有為」の原点は、どこにあるのだろう ?
病気の間に、いろいろ考えてみました。
実家は、社会的な話題を全くしない家庭でした。
60年アンポのこと、
オキナワが米軍占領下にあること、
ベーグン基地がニホン中にあること、
チョウセン・カンコク出自の人々が、何十万人もニホンに住んでいること、
アジア各地でニホン軍がやったこと … 。
すべて知らずに育ちました。
そんな自分が変わったのは、高校時代です。
1学年20名(全校生徒58名)の僻地の中学校から、県都の進学校へ。
高校での生活が、その後の生き方の原点になります。
県内各地から集まった生徒たち。
その中で僻地出身の自分は、初めおどおどしていました。
1年の時に、新聞委員になります。
2年になると、3年生から新聞委員長をやるように言われました。
1日「8時間の授業」と、
帰宅してから「5時間の自宅学習」の重圧がある中で、
委員長の仕事はやりたくありませんでした。
断り切れず、やむなく引き受けます。
編集し始めると、それまでの牧歌的な「学校新聞」ではなく、
「受験体制」批判の新聞づくりに熱中するようになりました。
男子「丸刈り強制の校則」や「8時間授業体制」への批判。
十数人で頭を剃って抗議したり、
独りで校長室に行き直談判したこともありました。
自分たちが卒業したのちに、「丸刈り強制」も「8時間授業」も廃止されます。
ペンは剣より強し。
声を上げれば、また動けば変わる。
それが信念となり、今に至っています。
十代の青さが、今なお抜けません。
そんなわけで高校時代の「新聞」作成が、生き方の原点になります。
そのような変り者ですから、ジョシには全くもてませんでした(笑)。
花を植え、草を刈り、剪定を行うボランティアは、退職後のこと。
少しは、丸みがでてきたかな(笑)。
当時、身長172センチ、体重48キロ。
ところで「勇気あるニュース」がありました。
一つは、宇都宮健児さんが「オリンピック中止」のネット署名を始められたことです。
さすがだな、と思います。
これまでネット署名をしたことがありませんでした。
自分はアナログ人間なので、ビクビクしながらやってみました。
約30万筆の一人です。
賛同される方は、
「宇都宮健児 オリンピック 公式サイト」から、ぜひどうぞ。
もう一つは、立川相互病院の貼り紙。
「医療は限界 五輪やめて! もうカンベン オリンピックむり!」
やっと勇気ある叫びが、可視化されてきました。
彼らの行動に声援を送りたい(拍手)。