人生百年 有為自然

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有為自然 1241 十代前半 日記に書き写した言葉  アラセブになって …   240815

  十代前半 日記に書き写した言葉

    アラセブになって …    24081

 

 

中学時代。

日記に書き写した。

 

だれもかれもが力いっぱいにのびのびと生きてゆける世の中
だれもかれも「生まれて来てよかった」と思えるような世の中
じぶんを大切にすることが同時にひとを大切にすることになる世の中
そういう世の中を来させる仕事がきみたちの行くてにまっている
大きな大きな仕事
生きがいのある仕事

 

吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかの中の言葉である。

書かれたのは、1930年代。

戦前である。

この言葉は1960年代に、一人の少年の心に響いた。

そして2020年代

アラセブになって、いっそう心に沁みるようになった。

 

すべて国民は、個人として尊重される。 

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、

 … 国政の上で、最大の尊重を必要とする。 (第十三条

 

1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2 国は、すべての生活部面について、

  社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

                           (第二十五条)

 

これら日本国憲法の条文も、

若い頃はきちんと理解していたとは言えない。

 

 

高齢になり、思いもしなかったことが身体に次々に起きる。

申し訳ないと思うほど、病院通いするようになった。

自分が病院で払っている数倍の医療費がかかっているからだ。

 

政府は、高齢者の医療費や社会保障費を削減することに汲々としている。

若い「学者」のなかには、

「高齢者は集団自決しろ」とまで言う人間がでてきた。

高齢者は、政府にとっても若い「学者」にとっても厄介者なのだろう。

政府は、老若の世代間対立を煽ることに精出している。

 

しかし、人間は誰もが老いる。

シャカが指摘した生老病死は、

人間にとって避けられないものだ。

 

 

そして、若い頃に触れた次の言葉も最近、新鮮に感じるようになった。

 

能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。

 

人間の能力は、人によってさまざまである。

学者・政治家・芸術家・スポーツマン・調理人・理美容師・職人 … 。

あげればきりがない。

それぞれの人が、自分の能力に応じて働く。

 

そして、障がいをもった人、高齢者などは、

必要なだけの医療や介護を受ける。

また学生、医学生、芸術家・理美容師・調理人の卵たち、スポーツマン … など、

必要な教育費や養成費を受ける。

 

能力に応じて社会に貢献する。

一方、ひとりひとりにとって必要なものを、社会全体で提供する。

 

「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」とは、

そういうことではないのかと思う。

必要に応じてとは、欲望のままにということではないのだ。

ようやく納得した。

 

わが家二人の病院通い・介護生活から、

上記のようなことを考えるようになった。